TRENDIA CLASSIC

待っている女

山川方夫

1 / 8

寒い日だった。その朝、彼は妻とちょっとした喧嘩をした。せっかくの日曜日なので、彼がゆっくりと眠りたいのに、妻はガミガミと彼の月給についての文句をいい、枕をほうりなげて、挙句のはて、手ばやく外出の仕度をして部屋から出て行ってしまったのだ。

蒲団に首をうずめたまま、彼は、またか、と思った。また半日も帰らないのだろう。近ごろ、妻はよくこの手を使う。どうせ実家にでも行き、思うさまおれの悪口をならべてくるのにきまっている。が、それで彼女の気がすむなら、それもよかろう。おれはおれでもう少しの時間、この蜜のような眠りをむさぼれればそれでいいのだ。

窓はもう明るく、一人きりの静かな部屋の中で、彼は、ごくやすらかにまた眠った。

目がさめたとき、枕もとの時計は十一時をまわっていた。――腹のあたりが空虚すぎて、もう、どうにも睡ることができない。

まだ、妻は帰っていない。彼は舌打ちをした。いまいましいことだが、結局、いつものように近くの煙草屋まで行き、ソバ屋にでも電話しなければ食事にはありつけない。

仕方なく、彼は顔を洗い、ふだんの服に着替えた。寒風の中をジャンパーの襟をたてて、二、三十メートルはなれた煙草屋へとあるいた。

煙草屋は、四辻の一角にあって、銀行の私設野球場をかこむ金網の塀の角に、ちょうど対角に面している。赤電話でソバ屋のダイヤルを廻し終えて、彼はふと私設球場の金網に片手をかけ、背を向けて、その若い女が立っているのを見たのだった。

脚のすばらしく美しい女だった。襟の大きな、焦茶色の、しかしいささか毛脚の古ぼけた外套に身をつつんで、長い髪がやわらかく肩にかかっている。

女はでも、私鉄の駅に向う一本の道に、じっと顔を向けつづけている。きっと、誰かを待っているのだ。……なんとなく、彼はすてきな青年が呼吸をきらし、走り寄ってくるさまを空想した。それは、見事な、頬笑ましい「愛」の風景に違いなかった。

山川方夫の他の作品