赤い手帖
本文約6,600字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
深夜の放送局で働く演出家の男は、仕事帰りに立ち寄った喫茶店で、赤革の手帖を使い筆談を交わす若い男女を目にする。翌日、その二人が心中したことを知った男は、手帖に残された二人の愛情の言葉に衝撃を受ける。他人の内面への関心を失い、愛を幻影としてしか扱えなくなった現代の日常の中で、男は自身が既に生気を失った死者のような存在であることに恐怖し、手帖を強く握りしめる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
その夜は、彼はまったくついていなかった。
木曜日で、彼の演出している帯ドラの一週間分の録音をしてしまう夜だった。だいたいがやっつけ仕事めいた番組だが、その夜の出来はことにひどかった。だれも口に出していわなかったにせよ、みんな、こんなのは最低以下さと内心で思っているのにちがいなかった。
放送局を出たのは、それでも二時をまわっていた。同じ方角にかえるタレントやスタッフたちを一まとめにして、それぞれに車の手配をする。最後の一台に彼は乗った。仕出し役につかったまだ若い女優が二人、すでに後のシートに坐っていた。
女優――といっても、まだ素人同然の青っぽい卵なのだが――たちは、一向に疲れた気配もなく、深夜の自動車の中で、大声で笑ったりふざけあったりしている。どういうわけか、こんなときほど若い娘たちのおしゃべりや笑い声がうるさく耳について、やたらと腹のたつことはないのだ。彼は口をききたくもなかった。まったく、こんなときは、若い女たちが、男どもにとりどうして天使に似た魅力的な存在になりうるのか、不思議でたまらない気がしてくる。
一人が降りた。手を振って駈けこんで行く小路は、先月、やはり女優の細君と別れたという売り出しの若手男優のアパートに向う小路だった。おさかんだな、彼はわらった。
「……望月さん、帰っているかしらね」
彼の笑いに応えるように、のんびりともう一人の娘がいった。小さく含み笑いをした。望月は、その男優の名前だった。
彼は、はじめてその娘を見た。大柄のグラマラスな身体で、でも顔はどう見てもまだ子供だった。娘は親しげに彼に笑いかけた。
「先生。……先生は独身?」
先生か。彼は苦笑していた。だが演出者をそう呼ぶのは、一つの習慣なのにすぎない。
「ああ、そうだよ」
「そう。便利ね、それなら」
娘はひどく無邪気な顔で笑った。
「君はいくつだ?」
「十九。老けてみえるでしょう? でもね、ほんとはまだ十八と七ヵ月なの」