軍国歌謡集
本文約39,400字 ・ 読了時間 約79分
あらすじ(AIが作成しました)
大学生の語り手は、映画エキストラの磯島大八郎が住む下宿で居候生活を送る。ある夜から、下宿の窓の下を通る若い女性が軍歌を歌い始める。語り手と大八郎は、その歌声にそれぞれの思いを抱き、日課として聞き入るようになる。しかし、歌声は突然途絶えてしまう。本作は、下宿での奇妙な共同生活と、歌声の主をめぐる体験を通じて、語り手の内面や人間関係の変遷を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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私は人間が進歩したり、性格が一変したり、というようなことはあまり信じてはいない。たしかに人間は変るものだが、それはべつに進歩を意味しないし、他人になるということでもない。彼の中の感情の回路、納得の形式というものは、いつのまにか一定してしまっていて、それは取り替えがきくものではない。
大学生だったころ、友人の下宿にころげこんでいた季節がある。ときどき、私はその下宿での自分の経験が、皮膚の奥から一つの烙印のようにまざまざと浮かびだすのを感じる。そして、たぶん、私は一生あのときの自分から他人にはなれないのだ、と思う。……これは、かなり絶望的な認識だが、でも、その絶望からしか、私はなにひとつはじめることができないのだ。
その下宿で暮したのは、四月の半ばから夏にかけてだったが、たしか朝鮮での戦争が、さんざん難渋した板門店での調印で、やっとケリがついた年だったと思う。私は二十一才になったばかりで、酒を飲んで議論をするのが大好きという困った男だった。女性にはほとんど関心をもたなかった。(前の年、私ははじめて商売女と接して、早まりすぎた失敗をおかしていた。それで自信がなかったせいもあるが、そのころは半分は本気で、自分には女なんか要らないと信じていたのである。)要するに、私は生意気ざかりだった。
友人といっても、場末の飲み屋で知り合った男なので、そいつは大学生ではない。彼の職業は映画のエキストラで、毎日バスに乗って撮影所に出掛けて行く。酒の入っていないときはひどく無口な男だった。