未見の人
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
急な用事で友人・末永の家を訪れた私は、一家が先程まで滞在していた武部という男の奇行を笑い合っている場に居合わせる。末永は、職に就かず貧乏な武部を「融通の利かない変人」と評し、数々の武勇伝や滑稽な逸話を語る。私は当初興味を持てなかったが、武部の特異な人となりに次第に好奇心を抱き、対面を望むようになる。後日、不穏な行為により拘引された武部三郎の名を新聞で見つけ、彼への関心と敬意を深めていく。
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或る日私は急な相談事があつて、友人末永を訪ねた。例の通り案内をも乞はず、庭木戸から聲を掛けて座敷の障子を開けると、彼れの細君や母や妹やが一所になつて、腹を抱へて笑つてゐる。私は相變らず氣樂な家庭だと、少し呆れ氣味で、
「どうしたんだい。」と、座敷に突立つたまゝ、皆んなを見廻した。すると末永は一人笑ひを止め、
「何でもないんさ、今武部といふ男が來てね、變な眞似をして行つたもんだから。」
「武部?……聞いたことのあるやうな名だが。」と、私は首を傾げて考へて、「さうだ/\、何かの折に河野が話してたが、一種猛烈な社會主義染みた事を云つてる男ぢやさうぢやないか。そして何處へ行つても長く勤まらんさうぢやないか。」
「君は此家で會つたことはなかつたかね、よく來る男だが。」
「いゝや知らんよ。」
「さうかねえ、君とは全で肌合ひの違つた男だよ、顏にも特色があつて、一度見たら忘れられん顏立ちだ。額が出て目が凹んでゝ、あまり人相がよくない。」
「私、あの方があんな眞似をなさらうとは思はなかつたわ。」と、細君は漸く笑ひを收めたが、名殘りはまだ口元に漂うてゐる。
「どんな眞似をしたんです。」と、私は問うた。
「どんなつて、貴下、何時も苦蟲噛み潰したやうな顏をして、六ヶ敷理窟ばかり云つてる方が、今日はどうしたんだか、お酒も召し上らないのに、犬の遠吠えの眞似だの鷄の眞似だのなさるんですもの。」
「四つ這ひになつて、あの長い首を振つた樣子たら、本當に何ていふんでせう。」と、妹は細君を見て、又二人で笑ひ出した。
「さう云へば、あの人も樣子が變だよ、此頃は。」と、母は尤もらしく云つて、矢張り目にも口にも微笑を帶びてゐる。
私も一座の笑ひに引き込まれて、ツイ笑つたが、その實可笑しくも何ともなかつた。で、人々の注意は目の前にゐる私よりも、既に歸つた後の武部に向つてゐるので、私は眞面目な相談事を持ち出す機會がなく、
「ぢや餘程變だつたんだね。」と、詮方なしの相槌を打つて、「その武部は今何をしてるんだ。」と、問ひたくないことを問うた。