十本の針
本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
直覚と解剖を繰り返す人々や、飽くなき欲求に支配される者たちの実態、そして血縁や過去の業に縛られる人間存在の不変性を綴る。科学や芸術が精神にもたらす飛躍、他者へ言葉を伝えることの困難さ、あるいは天国を地上に求める孤独など、人の生を取り巻く十の断章を収める。分析的な知性と詩的な感性を織り交ぜながら、人間がいかに自らの限界を超えられず、あるいは救いを見出せないままに生きるのか、その鋭い考察を提示する一編である。
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一 ある人々
わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。つまり一本の薔薇の花はそれらの人々には美しいとともにひっきょう植物学の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折っている時でも。……
ただ直覚する人々はそれらの人々よりも幸福である。真面目と呼ばれる美徳の一つはそれらの人々(直覚するとともに解剖する)には与えられない。それらの人々はそれらの人々の一生を恐ろしい遊戯のうちに用い尽くすのである。あらゆる幸福はそれらの人々には解剖するために滅少し、同時にまたあらゆる苦痛も解剖するために増加するであろう。「生まれざりしならば」という言葉は正にそれらの人々に当たっている。
二 わたしたち
わたしたちは必ずしもわたしたちではない。わたしたちの祖先はことごとくわたしたちのうちに息づいている。わたしたちのうちにいるわたしたちの祖先に従わなければ、わたしたちは不幸に陥らなければならぬ。「過去の業」という言葉はこういう不幸を比喩的に説明するために用いられたのであろう。「わたしたち自身を発見する」のはすなわちわたしたちのうちにいるわたしたちの祖先を発見することである。同時にまたわたしたちを支配する天上の神々を発見することである。
三 鴉と孔雀と
わたしたちに最も恐ろしい事実はわたしたちのついにわたしたちを超えられないということである。あらゆる楽天主義的な目隠しをとってしまえば、鴉はいつになっても孔雀になることはできない。ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。
四 空中の花束