風の便り
本文約32,900字 ・ 読了時間 約66分
あらすじ(AIが作成しました)
二十年来、高名な大作家を崇拝してきた無名の小説家木戸一郎は、その憧れの人物から手紙を受け取り、衝動的に温泉宿へ向かう。木戸は経済的困窮や自身の卑屈さに悩みながら、大作家からの厳しい叱咤や助言を読み解こうとする。二人の書簡のやり取りを通じて、作家としての生き方や、傲慢さ、自己憐憫への葛藤が浮かび上がる。木戸は、作品で勝負を急ぐ意識を捨て、生活の中で絶えず歩み続けることの大切さを説かれる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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拝啓。
突然にて、おゆるし下さい。私の名前を、ご存じでしょうか。聞いた事があるような名前だ、くらいには、ご存じの事と思います。十年一日の如く、まずしい小説ばかりを書いている男であります。と言っても、決して、ことさらに卑下しているわけではございません。私も、既に四十ちかくに成りますが、未だ一つも自身に納得の行くような、安心の作品を書いて居りませんし、また私には学問もないし、それに、謂わば口重く舌重い、無器用な田舎者でありますから、濶達な表現の才能に恵まれている筈もございません。それに加えて、生来の臆病者でありますから、文壇の人たちとの交際も、ほとんど、ございませんし、それこそ、あの古い感傷の歌のとおりに、友みなのわれより偉く見える日は、花を買い来て妻と楽しんでいるような、だらしの無い、取り残された生活をしていて、ああ、けれども、愚痴は言いますまい。私は、自分がひどく貧乏な大工の家に生れ、気の弱い、小鳥の好きな父と、痩せて色の黒い、聡明な継母との間で、くるしんで育ち、とうとう父母にそむいて故郷から離れ、この東京に出て来て、それから二十年間お話にも何もならぬ程の困苦に喘ぎ続けて来たという事、それも愚痴になりそうな気が致しますので、一さい申し上げませぬ。また、その暗いかずかずの思い出は、私の今日までの、作品のテエマにもなって居りますので、今更らしく申し上げるのも、気がひける事でございます。ただ、私が四十ちかくに成っても未だに無名の下手な作家だ、と申し上げても、それは決して私の卑屈な、ひがみからでも無し、不遇を誇称して世の中の有名な人たちに陰険ないやがらせを行うというような、めめしい復讐心から申し上げているのでもないので、本当に私は自分を劣った作家だと思って素直にそれを申し上げているのだという事をさえ、わかって下さったら、それだけで、私は有難く思います。