国貞えがく
本文約15,300字 ・ 読了時間 約31分
あらすじ(AIが作成しました)
故郷へ帰省した立田織次は、かつて亡き父と同じ職人であった平吉のもとを訪ねる。織次は以前預けた錦絵の所在を確認しようとするが、平吉は金銭的な事情を理由にはぐらかす。平吉の家には見世物小屋の踊り手であった女房がおり、織次は彼女の様子にかつての奇妙な記憶を重ねる。屋内で漂う鰯の焼ける臭気の中で、織次は錦絵の返却を強く求め、平吉との対峙を通して過去の因縁と現在の不穏な空気を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
柳を植えた……その柳の一処繁った中に、清水の湧く井戸がある。……大通り四ツ角の郵便局で、東京から組んで寄越した若干金の為替を請取って、三ツ巻に包んで、ト先ず懐中に及ぶ。
春は過ぎても、初夏の日の長い、五月中旬、午頃の郵便局は閑なもの。受附にもどの口にも他に立集う人は一人もなかった。が、為替は直ぐ手取早くは受取れなかった。
取扱いが如何にも気長で、
「金額は何ほどですか。差出人は誰でありますか。貴下が御当人なのですか。」
などと間伸のした、しかも際立って耳につく東京の調子で行る、……その本人は、受取口から見た処、二十四、五の青年で、羽織は着ずに、小倉の袴で、久留米らしい絣の袷、白い襯衣を手首で留めた、肥った腕の、肩の辺まで捲手で何とも以て忙しそうな、そのくせ、する事は薩張捗らぬ。態に似合わず悠然と落着済まして、聊か権高に見える処は、土地の士族の子孫らしい。で、その尻上がりの「ですか」を饒舌って、時々じろじろと下目に見越すのが、田舎漢だと侮るなと言う態度の、それが明かに窓から見透く。郵便局員貴下、御心安かれ、受取人の立田織次も、同国の平民である。
さて、局の石段を下りると、広々とした四辻に立った。
「さあ、何処へ行こう。」
何処へでも勝手に行くが可、また何処へも行かないでも可い。このまま、今度の帰省中転がってる従姉の家へ帰っても可いが、其処は今しがた出て来たばかり。すぐに取って返せば、忘れ物でもしたように思うであろう。……先祖代々の墓詣は昨日済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日だし、好なものは晩に食べさせる、と従姉が言った。差当り何の用もない。何年にも幾日にも、こんな暢気な事は覚えぬ。おんぶするならしてくれ、で、些と他愛がないほど、のびのびとした心地。