ごんごろ鐘
本文約8,700字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
村の尼寺で親しまれてきた「ごんごろ鐘」が、戦争のために献納されることになり、村人たちは別れを惜しむ。子供たちは最後に鐘を鳴らし、供養を見守る。後に主人公たちは、鐘に縁のある老人を鐘との再会へ案内し、鐘が爆弾へと生まれ変わって新しい活動を始めることの意味を考える。
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三月八日
お父さんが、夕方村会からかえって来て、こうおっしゃった。
「ごんごろ鐘を献納することにきまったよ。」
お母さんはじめ、うちじゅうのものがびっくりした。が、僕はあまり驚かなかった。僕たちの学校の門や鉄柵も、もうとっくに献納したのだから、尼寺のごんごろ鐘だって、お国のために献納したっていいのだと思っていた。でも小さかった時からあの鐘に朝晩したしんで来たことを思えば、ちょっとさびしい気もする。
お母さんが、
「まあ、よく庵主さんがご承知なさったね。」
とおっしゃった。
「ん、はじめのうちは、村の御先祖たちの信仰のこもったものだからとか、ご本山のお許しがなければとかいって、ぐずついていたけれど、けっきょく気まえよく献納することになったよ。庵主だって日本人に変わりはないわけさ。」
ところで、このごんごろ鐘を献納するとなると、僕はだいぶん書きとめておかねばならないことがあるのだ。
第一、ごんごろ鐘という名前の由来だ。樽屋の木之助爺さんの話では、この鐘をつくった鐘師がひどいぜんそく持ちで、しょっちゅうのどをごろごろいわせていたので、それが鐘にもうつって、この鐘を叩くと、ごオんのあとに、ごろごろという音がかすかに続く、それで誰いうとなく、ごんごろ鐘と呼ぶようになったのだそうだ。しかしこの話はどうも怪しい、と僕は思う。人間のぜんそくが鐘にうつるというところが変だ。それなら、人間の腸チブスが鐘にうつるということもあるはずだし、人間のジフテリヤが鐘にうつるということもあるはずである。それじゃ鐘の病院も建たなければならないことになる。