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TORENDIA

台風

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

八月十三日の猛烈な台風の中、庭の草花が折れる様子を眺めながら、筆者は近代的な科学用語としての台風の意義と、現代生活における新しい言語の必要性を論じる。さらに、欧州で勃発した大戦争の報せに触れ、遠く離れた巴里の芸術家たちに想いを馳せつつ、閉ざされた書斎で日常の情景を綴る随筆である。

與謝野晶子

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🎧 台風 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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八月十三日。

昨夜は夜通し蒸暑くて寝苦しかつた。夕刊の新聞に台風が東京をも襲ふ筈だと書いてあつたが、夜の十時頃から果してそれらしい風が吹き出した。併し雨はまだ小降であつた。蚊遣線香が無くなつたので十一時で筆を止めて蚊帳の中に入つたが、寝苦しいままに何時しかうとうととすると、アウギュストが啼いたので目が覚めた、もう夜明である。白んだ戸の隙間から吹き込む風で蚊帳が凄じい程煽られて居る。次の室から起きて来た二人の女の児が戸の間から庭を覗いてコスモスもダアリヤも折れて仕舞つたと言つて居る。劇しい風雨の音が山中で聴いて居るやうである。

台風と云ふ新語が面白い。立秋の日も数日前に過ぎたのであるから、従来の慣用語で云へば此吹降は野分である。野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味がない。勿論「野分の又の日こそ甚じう哀れなれ」と清少納言が書いた様な平安朝の奥ゆかしい趣味は今の人にも伝はつて居るから、野分と云ふ雅びた語の面白味を感じないことは無いが、それでは此吹降に就ての自分達の実感の全部を表はすことが不足である。近代の生活には科学が多く背景になつて居る「呂宋を経て紀伊の南岸に上陸し、日本の中部を横断して日本海に出で、更に朝鮮に上陸す」と気象台から電報で警戒せられる暴風雨は、どうしても「台風」と云ふ新しい学語で表はさなければ自分達に満足が出来ないのである。

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