旧主人
本文約34,800字 ・ 読了時間 約70分
あらすじ(AIが作成しました)
柏木村の娘お定は、小諸の新しい思想を持つ荒井家へ奉公に上がる。新宅の主人は勤勉で誰からも慕われる人物であり、妻の美しさと夫婦の睦まじい暮らしに奉公人は憧れを抱く。しかし、平穏な生活の中で奥様が来客の歯医者と密会を重ねるようになり、その現場を偶然目撃した旦那様は激しい嫉妬に駆られる。そんな折、街では天皇陛下万歳を唱える祝賀の声が響き渡り、日常の背後で均衡が崩れていく様子を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木村――はい、小諸まで一里と申しているのです。
柏木界隈の女は佐久の岡の上に生活を営てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生烈しい労働を為なければなりません。さあ、その烈しい労働を為るからでも有ましょう、私の叔母でも、母親でも、強健い捷敏い気象です。私は十三の歳から母親に随いて田野へ出ました。同じ年恰好の娘は未だ鼻を垂して縄飛をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓しいも哀しいも解り始めましたのです。吾家では子供も殖る、小商売には手を焼く、父親は遊蕩で宛にもなりませんし、何程男勝りでも母親の腕一つでは遣切れませんから、否でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳此方持の年に十八円位が頂上です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御宛行という約束に願って出ました。
金銭で頂いたら、復た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。