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TORENDIA

私の母

本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

晩婚で容貌に欠点を持つ母琴との生活を回想する随筆。作者は、父の後添えとして堺家に嫁ぎ、不器用ながらも憐み深く、浄瑠璃や和歌を通じて息子に教育を施した母の姿を綴る。厳しく叱られ反感を持つこともあったが、自然の美への憧れや日常の些細な思い出を共有する中で、息子は母を慕い、自らの性質や素直さが父母の両親から受け継がれたものであると捉え、一家の歴史を振り返る。

堺利彦

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🎧 私の母 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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私の母、名は琴、志津野氏、父より二つの年下で、父に取っては後添えであった。父の初めの妻は小石氏で、私の長兄平太郎を残して死んだ。そのあとに私の母が来て、私の次兄乙槌と私とを生んだ。私の母が私を生んだのが四十二歳の時、兄を生んだのが三十八歳の時だったはずだから、思うに、母は三十六、七歳の時、堺家にとついだものだろう。

かように母はずいぶんの晩婚であった。それには理由がある。もっとも、そんなことは、私が大人になってから独りで自然に考えついたことで、誰に話を聞いたのでもなく、また少年の頃は全く何の気もつかずにいたことである。母は甚だしいジャモクエであった。その頃の人としては、「キンカ上品、ジャモ柔和」というコトワザがあった位で、一通りのジャモなら一向問題にならなかったのだが、母のジャモはかなりひどかった。鼻の穴が片方はほとんど塞がっており、鼻筋は全く平らに押しつぶされていた。女としてそういう顔容になった以上、まず嫁入りは六かしいはずである。ただ、私の父が女房に死なれて貧乏世帯に子供をかかえて当惑した時、そこにほぼ双方の境遇が平均したものと考えられる。その外にどういう事情があったのか、私は少しも知らない。何にもせよ、母の晩婚の理由がその容貌上の大弱点にあったことは確かだと思う。しかし、そういう差引算用の結婚が必ずしも夫婦の愛を害するものではなかった。またそういう見苦しい晩婚の女の腹から、二人の立派な(!)男の子が生れるのに、何らの差支えがなかった。またその生れた子供が、母に懐き、母にすがり、母を慕い、母を愛するのに、その母の醜い容貌が何らの妨げにもならなかった。実際、醜いと感じたことすらなかった。

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