映画と癩の問題
本文約4,900字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
映画「小島の春」を批評する資格はないと断りつつ、癩を題材とした映画化とその興行手法に深い疑問を呈する。幼少期の過酷な記憶に基づき、癩を人生の底、救いのない不幸の象徴と捉える筆者は、映画という具体的表現が不得手な題材をあえて選ぶことの不誠実さを指摘し、観客の無条件な涙を誘う手法や、現実の過酷な社会問題と乖離した抒情的な映画作りに懐疑的な視線を向ける。
💰 この本を応援する(投げ銭)
数年来、映画をまったく見ていない私は、作品としての映画を批評する資格を持たない。したがって私は、映画「小島の春」を批評することはできないが、癩というものが、あのような仕方で映画にされ、あのような方法で興行されたという事実に対してはいまだに深い疑問をいだいている。そしてこの疑問はいまだに疑問のままで心の隅にわだかまっており容易に解けようとしない。そこで次にほぼ疑問の形においてこれらの問題を提出しておきたいと思う。
私の郷里は四国であって比較的癩患者の多い地方である。そしてその大部分は浮游癩というか、四国遍路ないしは乞食となって仏蹟を浮浪してまわっているのが多い。したがって私は幼時から癩を意識したり癩者を見たりする機会が多かった。たとえば――
少年の一日、私は仲間とともに遠足に出かけた。三坂峠という山地へかかる際の石の地蔵さまのあるところで休憩を取った。
私は地蔵さまにもたれ、そこらいっぱいに咲き乱れた卯の花を眺めながら片手で無意識に石地蔵の肌をなでていた。すると、それを見た意地のわるい仲間の一人が私にいった。
「おい、ここは遍路の休むところじゃろうが。その地蔵も何べんどす(癩)になでられたかわからんぞ。もうお前にはどすがうつったはずじゃ。どすは空気伝染じゃぞ。」
私はあおくなってそこの小川で手を洗うやら一人で大騒ぎをやったが、このときの救われない恐怖と不安はいまだに忘れることができない。
私の生れた町の側に石手川という川があり、ここの堤防にはよく癩患者が野宿をしていた。