死のなかの風景
本文約10,200字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
妻を亡くした夫が、葬儀の準備から火葬、そして郷里の墓地への納骨を経験する過程を綴る。戦争の影が色濃い日々の中、彼は日常の風景や残された遺品に妻の面影を感じつつ、深い悲しみと喪失感に沈む。やがて義母と共に郷里の兄を頼ることを決意し、自らも死の予感や破滅の気配を抱えながら、絶望の中で生き続ける自分の姿を見つめ直していく。日常と死が交錯する中で、彼が抱える孤独と内面的な静寂を描く。
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妻が息をひきとったとき、彼は時計を見て時刻をたしかめた。
妻の母は、念仏を唱えながら、隣室から、小さな仏壇を抱えて来ると、妻の枕許の床の間にそっと置いた。すると、何か風のようなものが彼の背後で揺れた。と、彼ははじめて悲しみがこみあげて来た。彼はこれまでに、父や母の死に遭遇していたので、人間の死がどのように取扱われるかは既によく知っていた。仏壇を見たとき、それがどっと彼の心にあふれた。それよりほかに扱われようはない死がそこにあった。苦しみの去った妻はなされるがままに床のなかに横わっているのだ。その細い手はまだ冷えきってはいなかったが、はじめて彼はこの世に置き去りにされている自分に気づいた。今は彼もなされるがままに生きている気持だった。
「僕は茫としてしまっているから、よろしく頼みます」
葬いのことや焼場のことで手続に出掛けて行ってくれる義弟を顧みて、彼はそう云った。昨夜からの疲労と興奮が彼の意識を朧にしていた。妻のいる部屋では、今朝ほど臨終にかけつけたのに意識のあるうちには間にあわなかった神戸の義姉がいた。彼はひとり隣室に入って、煙草を吸った。障子一重隔てて、台所では義母が昼餉の仕度をしていた。(そうだったのか、これからもやはり食事が毎日ここで行われるのか)と彼はぼんやりそんなことを考えていた。……心のなかで何かが音もなく頻りに崩れ墜ちるようだった。ふと机の上にある四五冊の書籍が彼の眼にとまった。それはみな仏教の書物だった。その年の夏に文化映画社に入社して以来、機械や技術の本ばかり読まされていた彼は、ふと仏教の世界が探求してみたくなった。それは今現に無慙な戦争がこの地上を息苦しくしている時に、嘗ての人類はどのような諦感で生きつづけたのか、そのことが知りたかったからだ。だが、病妻の側で読んだ書物からは知識の外形ばかりが堆積されていたのだろう。それが今、音もなく崩れ墜ちてゆくようだった。彼はぼんやりと畳の上に蹲っていた。