斜坑
本文約19,900字 ・ 読了時間 約40分
あらすじ(AIが作成しました)
炭坑で働く福太郎は、坑内で死んだ者の魂を慰める風習を不気味に感じ、落盤事故や自身の身に降りかかる災厄を予感して神経を尖らせる。妻のお作に対する執着や、かつてお作を射止めるまで翻弄した源次への複雑な感情が渦巻く中、酒宴の席で正気を失った福太郎は、突然の凶行に及ぶ。気がついたとき、自身の周囲には血が流れ、手に鉄槌を握りしめた福太郎は、自らの仕業に対する困惑と不思議な解放感のなかで高笑いをあげる。
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上
地の底の遠い遠い所から透きとおるような陰気な声が震え起って、斜坑の上り口まで這上って来た。
「……ほとけ……さまあああ……イイ……ヨオオオイイ……旧坑口ぞおおお……イイイ……ヨオオオ……イイ……イイ……」
その声が耳に止まった福太郎はフト足を佇めて、背後の闇黒を振り返った。
それはズット以前から、この炭坑地方に残っている奇妙な風習であった。
坑内で死んだ者があると、その死骸は決してその場で僧侶や遺族の手に渡さない。そこに駈け付けた仲間の者の数人が担架やトロッコに舁き載せて、忙わしなく行ったり来たりする炭車の間を縫いながらユックリユックリした足取りで坑口まで運び出して来るのであるが、その途中で、曲り角や要所要所の前を通過すると、そのたんびに側に付いている連中の中の一人が、出来るだけ高い声で、ハッキリとその場所の名前を呼んで、死人に云い聞かせてゆく。そうして長い時間をかけて坑口まで運び出すと、医局に持ち込んで検屍を受けてから、初めて僧侶や、身よりの者の手に引渡すのであった。
炭坑の中で死んだ者はそこに魂を残すものである。いつまでもそこに仕事をしかけたまま倒れているつもりで、自分の身体が外に運び出された事を知らないでいる。だから他の者がその仕事場に作業をしに行くと、その魂が腹を立てて邪魔をする事がある。通り風や、青い火や、幽霊になって現われて、鶴嘴の尖端を掴んだり、安全燈を消したり、爆発を不発にしたりする。モット非道い時には硬炭を落して殺すことさえあるので、そんな事の無いように運び出されて行く道筋を、死骸によっく云い聞かせて、後に思いを残させないようにする……というのがこうした習慣の起原だそうで、年が年中暗黒の底に埋れている坑夫達にとっては、いかにも道理至極であり、涙ぐましい儀式のように考えられているのであった。