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TORENDIA

案内者

本文約8,800字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

旅行案内記や専門のガイドから知識を得る行為と、学校教育や学問上の権威から教えを乞う行為の類似性を論じる。既成の知識に頼りすぎると自発的な思考や感覚が阻害される危険を指摘しつつ、全くの独学で道に迷う困難さについても言及する。案内者と被案内者の間に生じる意志の疎通の難しさや権威の限界を鋭く考察し、知識の習得における主体的な体験の重要性と、師や友との関係性について綴る随筆である。

寺田寅彦

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どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこというきまったあてがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜、あるいは山間の湖水、あるいは温泉といったように、行くべき所がさまざま有りすぎるほどある。そこでまずかりに温泉なら温泉ときめて、温泉の部を少し詳しく見て行くと、各温泉の水質や効能、周囲の形勝名所旧跡などのだいたいがざっとわかる。しかしもう少し詳しく具体的の事が知りたくなって、今度は温泉専門の案内書を捜し出して読んでみる。そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細な案内記を丁寧に読んでみたところで、結局ほんとうのところは自分で行って見なければわかるはずはない。もしもそれがわかるようならば、うちで書物だけ読んでいればわざわざ出かける必要はないと言ってもいい。次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人によってかなり言う事がちがっていて、だれのオーソリティを信じていいかわからなくなってしまう。それでさんざんに調べた最後には、つまりいいかげんに、賽でも投げると同じような偶然な機縁によって目的の地をどうにかきめるほかはない。

こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気づかいもない。

しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初から賽をふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案内記などにはてんでかまわないで飛び出して行く。そうして自分の足と目で自由に気に向くままに歩き回り見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難をひき起こしやすい。またいわゆる名所旧跡などのすぐ前を通りながら知らずに見のがしてしまったりするのは有りがちな事である。これは危険の多いヘテロドックスのやり方である。これはうっかり一般の人にすすめる事のできかねるやり方である。

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