一つの思考実験
本文約12,300字 ・ 読了時間 約25分
あらすじ(AIが作成しました)
現代人が抱える不安や不幸の原因は、日刊新聞の存在と深く関わっている。日々迅速な報知を優先するあまり不正確な記事が氾濫し、国民の心を騒がせる現状に対し、すべての新聞を全廃するという思考実験を提唱する。政治や経済、社会の動向について急いで知る必要性は一部の者を除けば希薄であり、週刊や旬刊への移行こそが人々に精神的な平安をもたらす可能性を説き、国民共有の知の機関としての理想的な情報提供の在り方を考察する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私は今の世の人間が自覚的あるいはむしろ多くは無自覚的に感ずるいろいろの不幸や不安の原因のかなり大きな部分が、「新聞」というものの存在と直接関係をもっているように思う。あるいは新聞の存在を余儀なくし、新聞の内容を供給している現代文化そのものがこれらの原因になっていると言ったほうが妥当かもしれないが、それはいずれにしても、私はあらゆる日刊新聞を全廃する事によって、この世の中がもう少し住みごこちのいいものになるだろうと思っている。
新聞を全廃したらさだめて不便な事であろうと一応は考えられる。その不便を感ずる種類や程度はもちろん人々の位地や職業によっていろいろであろうが、不便ということに異議はなさそうである。しかしそれらの不便がどれだけ根本的な性質のものでどれだけ我慢のしきれない種類のものかという事は、少しゆっくり考えてみなければよくわからないと思う。われわれの日常生活に必要欠くべからざるものと通例思われている器具調度の類でも、実はそれを全廃してしまって少しもさしつかえのないものはいくらでもある。たとえば、西洋ならばどんな簡易生活でも、こればかりは必要と思われている椅子やテーブルがなくても決してさしつかえない事は多数の日本人に明瞭である。また昔の日本の女になくてかなわなかった髪飾りや帯などは外国の女には無用の長物である。
新聞を必要とするように今のわれわれの生活を導いたものは新聞自身であるかもしれないとすると、新聞が必要がられるという事実だけでは決して新聞の本質的必要を証明する材料にはならない。