音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
朝霧のパリで幕を開ける音楽的映画「ラヴ・ミ・トゥナイト」の構成と演出について論じる。街の雑音や歌が物語の展開と密接に連動する音楽的工夫や、場面転換の技法、観客の嗜好に合わせて盛り込まれた多様な要素を分析する。本作の試みが未来の音映画の進化を暗示すると指摘し、音楽的構成を通じて視覚化された連句のような独自の映画創作の可能性を展望する。
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この音楽的映画の序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。まず夜明けのセーヌの川岸が現われる。人通りはなくて朝霧にぬれたベンチが横たわり、遠くにノートルダームの双生塔がぼんやり見える。眠りのまださめぬ裏町へだれか一人自転車を乗り込んで来て、舗道の上になんだか棒のようなものを投げ出す。その音で長い一夜の沈黙が破られる。この音からつるはしのようなもので薪を割る男が呼び出される。軒下に眠るルンペンのいびきの音が伴奏を始める。家の裏戸が明いて早起きのおかみさんが掃除を始める、その箒の音がこれに和する。この三つの音が次第に調子を早める。高角度に写された煙突から朝餉の煙がもくもくと上がり始めると、あちらこちらの窓が明いて、晴れやかな娘の顔なども見える。屋上ではせんたく物を朝風に翻すおかみさんたちの群れもある。これらの画像の連続の間に、町の雑音の音楽はアクセレランドー、クレッセンドーで進行して行って、かくして一人の巨人としての「パリ」が目をさましてあくびをする。これだけの序曲が終わると同時に第一幕モーリス住み家の場が映し出されるのである。この序曲はかなりおもしろく見られ聞かれる。試みに俳諧連句にしてみると
朝霧やパリは眠りのまださめず
河岸のベンチのぬれてやや寒
有明の月に薪を取り込んで
あちらこちらに窓あける音
とでもいったような趣がある。