二つの正月
本文約2,900字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
明治三十年の九州武雄温泉と明治四十三年の南欧ナポリという、時間と空間を超えた二つの旅先で迎えた正月の記憶を綴る。武雄での混浴の光景や機関車の松飾り、ナポリでの火口登山や地質学者との遭遇など、鮮烈に残る体験を対比させ、心に刻まれた不思議な連想の糸を考察する。遠く離れた二つの異郷の風景を繋ぎ合わせる、記憶の深淵に潜む謎めいた現象を描き出す。
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九州の武雄温泉で迎えた明治三十年の正月と南欧のナポリで遭った明治四十三年の正月とこの二つの旅中の正月の記憶がどういう訳か私の頭の中で不思議な聯想の糸につながれて仕舞い込まれている。一方を思い出すと必ず他方がくっついて一緒に出て来るのである。
熊本高等学校に入学した年の冬の休みに長崎から佐世保へかけての見学をした。熊本から百貫まで歩いて夜船で長崎へ渡りそこで島原の方から来る友人四、五名と落ち合ったのである。なにしろ三十年も昔のことで大概のことは忘れてしまっているうちにわずかに覚えていることが妙に官能的なことばかりであるのに気が付く。
その頃の長崎にはロシアの東洋艦隊の勢力が港町の隅々まで浸潤していた。薄汚い裏町のようなところの雑貨店の軒にロシア文字の看板が掛かっていたりした。そうした町を歩いている時に何とも知れぬ不思議な匂いがした。何の匂いだろうと考えたがついに解らなかったことを思い出す。そうしてその匂いがロシアの東洋艦隊というものと何かの関係があったような気がするのである。
長崎を立って時津に向かう途中でロシア人専門の遊廓だというところを通ったら二階から女どもが見下ろして何かしら分らないことを云って呼びかけた。それがやはりロシア語であったことになっている。そんなことは解るはずがないのに、夢のような記憶では、それがそうであったことになっているのである。当時の露国海軍のブルータルな勢力の圧迫が若い頭に何かしら強い印銘を与えていたかもしれない。
時津の宿で何とかいう珍しい貝の吸物を喰わされた。ずっと後にかの地における切支丹迫害の歴史を読んで以来はこの貝の吸物が切支丹と一緒に思い出されるのも不思議であるが、要するにどちらも私にはかなりに官能的なものである。