俳句の精神
本文約11,000字 ・ 読了時間 約22分
あらすじ(AIが作成しました)
俳句という詩型と、それに流れる日本人の精神的特質について論じる。自然を対立物ではなく一体化する対象と見る日本独自の自然観が、俳句の象徴性や情感を生み出した背景にあると説く。また、五七調の律動が定着した歴史的経緯に触れつつ、俳句の修業を通じて自然に対する観察力を練磨し、不要な要素を切り捨てる選択の精神を養うことが、日本人としての精神的修養として重要な意義をもつことを提唱する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一 俳句の成立と必然性
五七五の定型と、季題および切れ字の插入という制約によって規定された従来普通の意味での俳句あるいは発句のいわゆる歴史的の起原沿革については、たぶんそういう方面に詳しい専門家が別項で述べ尽くされることと思うから、ここで自分などが素人くさい蛇足を添える必要はないであろう。しかし自分が以下に試みに随筆的に述べてみたいと思う自己流の俳句観のはしがきのような意味で、やはり自己流の俳句源流説を略記して一つには初心読者の参考に供し、また一つには先輩諸家の批評を仰ぎたいと思うのである。
俳句の十七字詩形を歴史的にさかのぼって行くと「俳諧の発句」を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。これは周知のことである。
しかし、川の流れをさかのぼって深い谷間の岩の割れ目に源泉を発見した場合にいわゆる源泉の探究はそれで終了したとしても、われわれはその泉の水が決して突然そこで無から創造されたものではなくて、さらに深く地下の闇の中にその出所を追究することができるということを知っている。それと同じようにわれわれはまた俳句というものの中に流れている俳句的精神といったようなものの源泉を、その詩型の底にもぐり込んで追究して行くと、その水脈のようなものは意外に広く遠い所に根を引いているのに気がつくであろう。たとえば万葉や古事記の歌でも源氏や枕草子のような読み物でも、もしそのつもりで捜せばそれらの中にある俳句的要素とでも名づけられるようなものを拾い出すことは決してそれほど困難ではあるまいと思われる。
ここで自分がかりに俳句的要素とかいう名前で呼んでいるものは何であるかというと、それは古来の日本人が自然に対する特殊な見方と態度をさして言うのである。
日本人の対自然観が外国人なかんずく西洋人などのそれと比較していかなる特徴をもっているかということについては最近に他の場所でやや詳しく述べたからここでは詳細の解説は省略するが、その要点をかいつまんで言ってみると次のようなものである。