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TORENDIA

「迷いの末は」

本文約9,000字 ・ 読了時間 約19分

あらすじ(AIが作成しました)

徳田秋声や菊池寛らが参加した作家座談会を端緒に、当時の作家たちが直面した社会状況と精神的混乱を論じる。特に海外渡航を経験した横光利一の作品に現れる苦境や、日本文化の輸出に潜む矛盾を指摘する。明治の先人たちが求めた人間性の自立と比較しながら、現代の作家や評論家が知性を喪失し、義理人情という枠組みに逃避する姿勢を批判し、芸術家が人間的知恵を自覚する重要性を説く。

宮本百合子

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『文芸春秋』の新年号に、作家ばかりの座談会という記事がのせられている。河豚礼讚、文芸雑誌の今昔などというところから、次第に様々の話題へ展開しているこの記事は、特に最後の部分、二・二六と大震災当時の心境についてそれぞれの出席者が所感を語っている部分に至って、読者の感想を喚び出す幾多のものを示している。徳田秋声、菊池寛、久米正雄等の作家たちが、震災以来今日までの十五年間に生きて来た社会的な道すじ、及び今日それぞれの人々が占めているこの社会での在り場所というものを、自ら読者に考えさせる言外の暗示を少なからず含んでいるのである。

この座談会で、次のような話が交わされた。

徳田秋声「パリから白鳥君(正宗)が手紙をよこしてね。こっちに又来たけれども、退屈な日を送っていると云っているのだね。今度はお寺やなんかばかり見ている。鞄の中に西鶴のものが一冊入って居って、それが今一番ぴったり来るというのだね。向うのことは何にも分らんという。そんなことが書いてあった」 久米正雄「白鳥氏なんかよく享楽しているよ」 徳田秋声「そりゃそうですな」  短い言葉のやりとりの裡に、語る人々、語られる人の風貌が躍如としていて、まことに面白い。全く白鳥という人は、世間並より或はずっとよく、そして巧に享楽もしつつ、退屈げな顔つきを日常の間にも作品の中にも漂わす作家なのであろう。向うのことは何にも分らない、なりにこの人は落付いている。彼を落付かせているものがよしんば何であろうとも、彼はそれを旅券や財布とともにパリの真中でも落しっこない人なのである。

横光利一氏はそうはゆかない。向うのことは何にも分らないで白鳥のように安心も出来ないし、同時に此方のことが何にも分らないでも通用しかねるという苦しい自覚におかれた。『改造』新年号に「厨房日記」を読んだ人は、おそらく梶という名で立ちあらわれている一人物を通して作家横光の複雑な苦境と混乱とそれに何とか恰好をつけようとしてとられている身振りの貧寒さを感ぜざるを得なかったであろうと思う。

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