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TORENDIA

傷だらけの足

本文約9,700字 ・ 読了時間 約20分

あらすじ(AIが作成しました)

宮本百合子は本書において、文学における純潔という概念や性の解放を論じる。ゴールスワアジーやローレンスの作品を引き合いに、既成のモラルや偏見が人間の尊厳をいかに圧殺しているかを検証する。さらに、石川達三の小説に登場する女性の思想を分析し、理性やヒューマニティーを排除する人間性の危うさを指摘する。著者は社会的な矛盾とたたかいながら人間らしく生きることの重要性を綴り、現代における純潔のあり方を考察する。

宮本百合子

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こんにち、わたしたちがふたたび純潔ということについて語るとすれば、それは、どんな新しい人間精神の欲求からのことだろう。

わたしたちの生活の下で、ある種の言葉は、この半世紀の間に、全く水火をくぐって、傷だらけにされて来た。たとえば愛という言葉。正義という言葉。そして純潔という言葉もその仲間にはいる。

ヨーロッパの社会では第一次大戦のころ(一九一四―一八)から純潔に対する観念はすべての市民の日常生活の中で、はげしい試練をうけはじめた。イギリスはそれまで豊かだった中流層の経済力とともに安定していた清教徒風な、モラルのよりどころであった「純潔」の再検討によって。フランスはカソッリク的な純潔の現実的な定義に関して。

ゴールスワアジーの小説に「聖者の道行」という小説がある。第一次大戦の前後に書かれた作品で、イギリスの人たちが、十九世紀からもちつづけて来た家庭、結婚についての形式的な習慣に、新しく深いヒューマニティーの光を射こんだ作品であった。保守的な宗教家として正統的なものの考えかたをしている老牧師の娘である女主人公が、かねて愛しあっていた青年と、彼の出征の前夜、自分たちの結婚をする。若い二人は、その異常な別れの夜に、互の愛を互のうちに与えあわずにいられない熱情につき動かされたのであった。青年は戦死した。その娘は母となる。教会で結婚の儀式をあげる機会をもてずに、愛しあっていた男女が結合し、親となったということだけのために、若い母親は周囲の人たちのしつこい侮蔑と中傷とにさらされなければならなくなった。父である牧師は、自分の教会と牧師である自身の体面が全教区の前に傷つけられたということばかりを心痛している。娘に対して最も寛容でないのは、神の召使いである父親であった。

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