本文へ移動
TORENDIA

支那目録學

本文約51,700字 ・ 読了時間 約104分

あらすじ(AIが作成しました)

支那の学問において、書物の分類や解題に不可欠な目録学を論じる。本書は、漢代の劉向・劉歆父子による体系化から始まり、歴史的な変遷に基づいた著述の流別や、校讐の重要性を説く。さらに、章学誠が提唱した行政的な藏書政策や索引作成の技術に至るまで、目録学が単なる書物の管理にとどまらず、学問の発展や文化の特殊性を理解するための基盤となる学問であることを解説する。

内藤湖南

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 71

目録學は支那には古くからあるが、日本には今もつて無い。これは目録といつても、單に書物の帳面づけをするといふやうな簡單なことではない。支那の目録學にはもつと深い意味がある。これを知らないと、書物の分類も解題もできない。のみならず、今日實際に當つて、色々のものを見るのに困る場合が多い。日本の目録には、意味のないことが多い。かの佐村氏の「國書解題」などでも、箇々の書の特質を標出し得ずして、何れの書にも同樣の解題をしてあるやうな處があつて、解題の意味をなさぬものがあるが如きである。

目録學の始

ともかく、現存の支那の目録では、漢書の藝文志が最も古いものである。漢書は班固の生前には出來上らないで、その妹の曹大家が完成したものといふが、藝文志は班固自身の手に成つたものであらう。後漢の中葉、西洋紀元一世紀の終り頃に出來たものである。

大體、漢書藝文志は、班固が自分で書いた處は、最初の敍文ぐらゐの僅かばかりで、その全體の大部分は、劉の七略によつて書いたのである。七略の中の六略を採つて載せたので、七略の一つである輯略は藝文志には載せられてゐない。ところで、劉が七略を作つたのは、が創始したのではなく、その父の劉向が着手したのである。向が前漢の成帝の時より着手して、それをが仕上げたのであるが、それは前漢の哀帝の時である。哀帝の末年は西洋紀元前一年に當るから、大體西洋紀元の少し前頃に出來たものと思はれる。

この頃の學問は、多くは家の相續の學問で、劉氏も二代學者であるが、元來劉向の家は漢の宗室で、しかも不思議に宗室中で學問をした家である。先祖は楚の元王といつて、漢の高祖の弟である。馬上で天下を取つた高祖の兄弟ながら、學問好きであつたが、それ以來この家は學問が續いた。向の時になつて、成帝が天下の祕府に集まつた書籍の整理・校正を向に掌らしめたので、ここに目録學が始めて興ることになつた。

二劉の學の本旨

内藤湖南の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本