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TORENDIA

二つの型

本文約970字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

京都の町で見られる統一感のある装いと、東京の雑然としながらも個性が際立つ服装の違いを論じる。あわせて、安価で流行を追う衣服と、高価だが丈夫で長く着用できる衣服という二つの分類を取り上げ、職業婦人の増加や外出の機会といった生活の様相が、それぞれの装いにどのような影響を与えているかを綴る。社会の変化に伴う女性の服装の二面性や、土地柄による美意識の相違を鋭く観察し、個性を尊重する視点から考察を深める。

宮本百合子

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🎧 二つの型 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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服装に就いての趣味と云っても、私は着物の通人ではないから、あれがいいとか、こんな色合は悪いとかは云えない。要するに着ているそのひとに合っていればいい。種々変った型、色、等があって差し支えないということは、恰も同一の個性が人間の中に見出されないのと同じわけではないか。唯、この際、自分にあてはまったものが、そう簡単に易々と見附かるかどうかと云うことは云える。そのために衣裳好みということが起るのであるならばさし支えないが、徒らに高価なものを身に附けたりして通がったりするのは、却ってその人を落すだけである。

京都へ行く度びに私がよく思うことは、京都の女は、凡てが季節などに支配されているということである。セルの季節になると、一様にセル物の姿が見られる。同じ様な意味で、縞柄とか模様、色彩などがなんとなく同一傾向のものであって、東京の電車の中で見る様な、突飛な服装をしているものはついぞ発見し得ない。強いて云えば京都風というもので統一されてしまっている。

所が、東京は全く雑然としている。お召の側らにけばけばしい洋装がいるかと思えば、季節外れの衣裳を平気で身に附けている者がある。だから、京都は統一はあるが婦人の個性は失われている。東京は統一がない代りに、各自その人の個性がはっきり掴み取れる様な服装をしている。土地によると二つの型がはっきりと分類されていて面白いと思う。

それから、段々職業婦人というものが多くなって、女の外出ということが繁くなるに従って、一つは綺麗ではあるが二三年でもう棄ててしまう安もの――棄ててしまっても何等惜しくないのを着る者と、他は高価ではあるが永い間着て悪くならないつまり「持ちのいい」ものを着る者という風に分れて行くであろうし、現在そうなっていると思う。派手に着飾って見た眼には美しいが、指をふれて見ると碌なものじゃないという傾向と、じみな、視覚にはそんなに衝動を与えない代りに丈夫で永持のする高価なものという二つの服装分類は、そのどちらかに依って、外出する機会を多く持っている者か、内に許り閉じこもっている人であるかが解るだろうと思う。

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