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TORENDIA

女の行進

本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

銀座へ行進した浦和の女子青年の姿と、四国の女学校における日傘禁止の事例を取り上げ、形だけの模倣や表面的な新体制の趣向がもたらす弊害を論じる。指導者が流行に流されず、若い世代の真率な心を大切にすること、また女性自身が日常の生活から自主性を持って行動の意味を考えることの重要性を説く。時局下における団体の活動と、そこに求められる真の生活の輝きについて考察した評論である。

宮本百合子

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🎧 女の行進 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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十一月のお祭りのうちのある午後、用事で銀座へ出かけていたうちの者が、帰って来て、きょうは珍しいものを見たの、といった。浦和の方から、女子青年の娘さんたちが久留米絣の揃いの服装、もんぺに鉢巻姿で自転車にのって銀座どおりを行進して行ったのだそうだ。それは綺麗だったけれど、そのあとから制服の背中に黄色い布で長い木剣を斜に背負って自転車にのった娘さんの一隊がきかかると、立ち止って見ていた通行人たちはびっくりした心持からユーモアへ動かされて、みんな笑い出したそうだ。あんな恰好をして遠いところからペタルをふんで来て何の意味もないじゃあないか、という批評がきこえたそうだ。うちの若い娘も不思議そうに、木剣背負ってどうするんでしょうね、剣道をやっているのかしら、といっていた。

その場にいあわせたのではなかったから、行進があたりに与えた空気も、それと反対に行進を見送ったその時の通行人の気分も、それがどんなものであったか、もとよりはっきり断言はできない。けれども常識として考えた場合、一ふりの長い剣を斜に背負った姿は、日本の昔から袴の股立ちを高くとった若武者の旅姿で私たちには印象づけられているのだから、それがセイラアの制服の背中について自転車に乗って行進して来たとすれば、一種の時代錯誤が感じられるのはむしろ当然ではなかったかと思う。

それを見て笑うなんて浅薄だという風にいえば、もちろんそうで、真に心ある人々としては決して笑って見ていられない今日の日本の時局精神の皮相的なはきちがいが、その娘さんたちの姿にも象徴されていると思う。そういう姿にある時代錯誤の感じは、単なるハイカラ的見地からでなく現代の世界が使用している武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様、何か国民が本気でそれへ当っている事象への戯画化が印象づけられる。

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