「ラジオ黄金時代」の底潮
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あらすじ(AIが作成しました)
昭和初期、日本においてラジオの普及と聴取者の増加が急速に進む社会現象を分析し、その背景にある経済事情や大衆の心理を綴る。政府の公式見解とは異なり、農村や労働者の生活実態を交えながら、ラジオのニュース価値が不安や期待といった大衆の心理的変化と密接に関わっていることを指摘する。また、日本のラジオ放送における編成方針や短波受信制限の問題点、さらに聴取者からの投書の少なさなどを通じて、国民と放送のあり方を論じる。
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現代ヨーロッパ文学には、ラジオや飛行機が様々の形でとりいれられ、スピードや空間の征服やそれによる人間の心理の複雑化などが語られている。
日本でもラジオは文学に反映しているが、最近東朝が紙面の品位を害するという理由で掲載を打ちきったとつたえられる永井荷風氏の「東綺譚」は、恐らく今日の世界の文学に類のないラジオと一人の人間との関係を発端としていると思う。作者永井荷風は、夏の夕方になると軒並にラウド・スピイカアのスウィッチを入れて、俗悪・卑雑な騒ぎを放散させる五月蠅さに堪りかねて、丁度十時頃ラジオの終るまでの時刻をどこかラジオのならないところで過す工夫をこらす。そして、遂に墨東、亀戸辺の私娼窟に出入することを書いたものである。
古典的筆致と現代私娼窟の女・情景とを荷風一流のデガ[#「ガ」はママ]ダンスに統一して描かれていたこの作品についての感想はここでは触れないとして、ラジオをいやがって逃げ出すところから何百枚かの小説をかかせ得る日本のラジオというものの性質が、なかなか只見て過るというわけに行かないのである。
荷風の場合は、一つの異例であるとしても、ラジオが好き、と積極的に云い得る人は、全住民の果して何割を占めるであろうか。日本の家屋の構造は、全く夏など家そのものを反響箱として響きわたるのであるから、生憎ラジオを終りまでかけている家の隣りにでも住み合わしたら、大抵の者は閉口する。