あとがき(『モスクワ印象記』)
本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
二十年前のソヴェト同盟における社会生活や文化、文学の報告を綴る。一九二七年から三〇年にかけての体験を記した印象記や報告は、当時発表された後、日本のファシズムや侵略戦争の激化により公にされる機会を奪われていた。本書は、それらを一冊にまとめ、ソヴェト社会の建設過程における艱難や発展の芽立ちを、古くて新しい世界の人民の業績の一つの典型として提示する。
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わたしがソヴェト同盟に暮したのは、もう二十年も前のことになる。一九二七年の暮から三〇年十一月までのことであったが、三一年から三二年までわたしはずいぶん沢山のソヴェト社会の日常生活や文化・文学についての報告を書いた。そしてそれらは、書いているわたし自身がそこで暮した新しい社会生活の姿にいきいきとして新たな感動をよみがえらしたように、沢山の人によまれて人民生活のゆく手の明るさを感じさせた。
一九三二年の春からのち、日本のすべての人の生活がはげしいファシズムの笞で侵略戦争に追いこまれはじめた。侵略戦争の遂行のためにわたしたち人民の口はふさがれ、眼にカーキ色の幕がはられた。バイカル湖まではこちらで貰うというようなことがしらふで話されていた時期に、ソヴェト同盟は日本の軍国主義者にとっての侵略目標であった。そして世界平和と人民生活の安定のための社会主義建設に努力するソヴェト同盟の存在は「赤」の本場として憎悪の的とされた。
そんなに書きためられていたソヴェト同盟についてのいきいきした話が一九三二年からのちのどの本にも集録されないできた理由はここにある。わたしたちの人民的な自由とともにソヴェトの物語も檻に入れられていた。
今日の日本には自分たちの眼でソヴェト同盟をみてきた人が大勢いる。捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験がされている。同時に日本の大衆が人民的な民主主義の道を歩きはじめて、中国や北朝鮮のひとびとの現実の建設を眼近にみるにつれ、遠い一つの社会主義的実験国のように思われていたソヴェト同盟の生き方が、案外にも日本のわたしたちの日常につらなったものであることが実感されはじめてきている。ところが今日のわたしたちの一方の耳からは絶えずソヴェトに対する中傷や事実の不明な流説がつぎこまれるためにソヴェト社会の実際をありのままに知りたいという気持は一層切実な要求となっている。