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TORENDIA

「女らしさ」とは何か

本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

女子解放運動に対して掲げられる「女らしさ」の喪失という批判を論じる。著者は「女らしさ」が全人類に共通する概念ではなく、特定の時代や地域に限定された因習に過ぎないと指摘する。また、愛や優雅さといった性情は女子特有のものではなく人間全体に必要な「人間性」であると説く。女子の高等教育や職業選択の自由を求め、人間としての活動領域を拡大することこそが、女子を人形から人間へと解放する道であると主張する。

与謝野晶子

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日本人は早く仏教に由って「無常迅速の世の中」と教えられ、儒教に由って「日に新たにしてまた日に新たなり」ということを学びながら、それを小乗的悲観の意味にばかり解釈して来たために、「万法流転」が人生の「常住の相」であるという大乗的楽観に立つことが出来ず、現代に入って、舶載の学問芸術のお蔭で「流動進化」の思想と触れるに到っても、動もすれば、新しい現代の生活を呪詛して、黴の生えた因習思想を維持しようとする人たちを見受けます。たとえていうなら、その人たちは後ろばかりを見ている人たちで、現実を正視することに怠惰であると共に、未来を透察することにも臆病であるのです。そういう人たちは保守主義者の中にもあれば、似非進歩主義者の中にもあるかと思います。

私のおりおり顰蹙することは、その人たちがしばしば「女子の中性化」というような言葉を用いて現代の重要問題の一つである女子解放運動を善くないことのように論じることです。それはその人たちが女子の人間的進化を嫌う偏見を先入的に持っていると共に、人生を一つの法則、一つの様式の中に固定すべきものと考える静態的な因習思想を維持するために、わざわざ、人の厭がる言葉を掲げて、一方には女子を威嚇してその新しい擡頭を抑えようとし、一方には社会の聡明な判断を掻き乱して、女子解放運動に同情を失わしめようとする卑劣千万な論法であるように、私には感じられます。私はそれについて、少しばかり抗議を書こうと思います。

*

その人たちの言う所をかいつまんで述べますと、女子が男子と同じ程度の高い教育を受けたり、男子と同じ範囲の広い職業に就いたりすると、女子特有の美くしい性情である「女らしさ」というものを失って、女とも附かず、男とも附かない中間性の変態的な人間が出来上るから宜しくないというのです。

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