偽りのない文化を
本文約9,100字 ・ 読了時間 約19分
あらすじ(AIが作成しました)
戦後の日本において、生活の実態と乖離した文化の在り方を論じる。日々の困窮や封建的な慣習に縛られる女性たちの現状を綴り、一部の階層による模倣的な文化や、日本精神を強調する歪んだ価値観を批判する。真の文化とは、個人の生活を支え、平和を願う民主的な姿勢にあると説き、日常生活と文化がいかに密接であるべきかを問い直す評論である。
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一
きょう、わたしたち女性の生活に文化という言葉はどんなひびきをもってこだまするだろう。文化一般を考えようとしても、そこには非常に錯雑した現実がすぐ浮び上って来る。このごろの夏の雨にしめりつづけてたきつけにくい薪のこと、そのまきが乏しくて、買うに高いこと。干しものがかわかなくて、あした着て出るものに不自由しがちなこと。シャボンがまた高くなったこと。夏という日本の季節を爽快にすごすことも一つの文化だとすれば、多くの女性の生活には、文化らしいものさえもたらされていない。雑誌のモードは、山に海にと、闊達自由な服装の色どりをしめし、野外の風にふかれる肌の手入れを指導しているけれども、サンマー・タイムの四時から五時、ジープのかけすぎる交叉点を、信号につれて雑色の河のように家路に向って流れる無数の老若男女勤め人たちの汗ばんだ皮膚は、さっぱりお湯で行水をつかうことさえ不如意な雑居生活にたえている場合が多い。
その半面、このごろのわたしたちの生活は、決して戦争時分のように、どっちを向いても食べているのはおたがいに大豆ばかりという状態ではなくなっている。おいしそうに見事な果物や菓子が売り出されている。きれいな夏ものが飾られ、登山用具はデパートのスポーツ部にあふれている。軒をならべた露店に面して、よくみがかれた大きいショーウィンドをきらめかせているデパートはすべてが外国風な装飾で、外国人専用のデパートの入口には外国の若い兵士が番をしている。その入口を出て来る人の姿を見ていると、あながち外国人ばかりでもなくて、大きい紙包を腕にかかえた日本の女もまじっている。そういう日本の女のひとたちは、どうしてあんなに、わたしはみんなとちがいます、という風な愛嬌のない、きれいさのない顔つきをして通行人にたち向わなければならないのだろう。その表情を見るような見ないような視線のはじにうつしとって、瞬間の皮肉を感じながらゆきすぎる男女の生活は、日々の勤勉にかかわらず三千七百円ベースの底がひとたまりもなくわられつつある物価の高さによろめき、喘いでいるのだ。