新しい潮
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あらすじ(AIが作成しました)
アメリカ大統領選挙におけるトルーマンの再選と、極東軍事裁判の判決を軸に、日本の政治と社会の現状を綴る。選挙結果が奇蹟視される新聞報道の姿勢を批判し、戦争協力の過去を抱える雑誌や作家の責任を問う。侵略謀議者たちの独善的な心境や、減刑運動を巡る不穏な動きに警鐘を鳴らす。著者は、アメリカ市民が投票を通じて政治を民主的方向へ動かした事実に触れ、日本の民主化の歩みについても真摯な考察を提示する。
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一
このたびのアメリカ大統領選挙は、まったく世界の広場のまんなかで、世界じゅうの注目をあつめて、たたかわれた。どこの国でも日本のように共和党の候補者デューイの当選が確実だと、あれほど宣伝されていたのだろうか。日本での宣伝はひどかった。十一月三日の開票日の前日、日本の代表的な新聞はデューイ氏当選確実、共和党早くも祝賀会準備と、まるで丸の内あたりでその前景気をみてでもきたように書きたてた。
ところが、開票の結果は予想がうらぎられた。民主党のトルーマン大統領が再選した。トルーマン大統領の再選は世界各国の一部の人々には大番くるわせであったらしい。各新聞は、最大の形容のことばをつかって、その番くるわせについて書きたてた。けれどもそれらの記事は、おちついて読むわたしたちに滑稽な、またいくらか腹だたしい感じをあたえた。なぜといえば、トルーマン再選を奇蹟的だの意外だのと書きながら、一方でその新聞は、トルーマンは彼の困難な選挙活動のはじまりから、非民主的だった第八十議会の実状を率直に訴えれば、アメリカ市民は彼に協力するにちがいないという十分の確信にたっていた、といっているのだから。それほど、前から、たとえ主観的なものであるにもしろ政治家としてのトルーマンの確信がはっきりわかっていたのなら、日本の公器であるはずの日本の新聞が、どうして公平に記事を選ばず、デューイ当選を、まるで既定の至上事実のようにわたしたちに宣伝しなければならなかったのだろう。
こういう悲惨で滑稽な現象のチャンピオンとして、某婦人雑誌が、トルーマン当選の公表された翌日の新聞に、「デューイ夫妻会見記」という特別記事入りの十二月号の広告を出した。ここにも奇蹟的という文字がつかってあった。この雑誌の特派記者が、アメリカの人でもなかなか会えないデューイ夫妻に会見してとった記事ということであった。