幸運の手紙のよりどころ
本文約1,000字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
幸運の手紙が人々の不安を煽り、特定の行動を促す心理的メカニズムと、災難に対する根源的な恐れを抱える社会の現状を考察する。幸福がぼんやりとした憧れに留まる不安定な時代背景の中で、不吉な予言が人々の心理を突いて循環する様や、警察へ届け出る市民の姿から浮かび上がる人間味のある感情を鋭く分析する。人間の底に潜む幸福への願いと、それを脅かす災厄への執念が交錯する現代社会の危うさを鋭い視点で綴る随筆である。
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幸運の手紙というものは、私自身としては送られたことがない。もし送られたら、多分そのまますててしまうだろうと思うけれども、立ちどころに厄災来る、というようなことが書かれていたら、やっぱりいい心持はしないであろう。あら、いやね、こんなものが来た、というだろうと思う。
幸運の手紙というのは、絶えず地球をまわっていて、時々日本へもめぐって来るというものなのだろうか。それとも日本の内は日本の内だけ廻っているのだろうか。きいて見たがはっきり知っている人もなかった。
人間は誰でも心の底でぼんやり幸福をねがっていると思う。ぼんやりと、自分でもその本態をはっきりつかめずに幸福や安らかさを思っている心を、幸福の手紙が、却って凶悪のはっきりした予告でおどろかして、一つの手紙も書くという行動に動かして行くところは、なかなか心理的である。このことは、皆が、不幸とか災難とかについては、その種類もその数の多さも大抵は知っていて、災難というと立ちどころに、ああと思うめいめいの心当り、危惧さえ日常生活の裡には存在しているという我々の現実を語っている。前線に愛する誰彼を出しているような人にとって、厄災と云う字は笑いすてきれないかげを投げるだろう。
幸運の手紙は、従って人々がともかく幸福らしいものをたっぷりもって暮している世情の中では、効力を余り発揮しない。幸福や幸運というものがいかにもぼんやり遠くにあって、今日の現実とは反対のものとして心に描かれているような社会の条件のなかでこそ、幸運の手紙はその循環を全うし得るのではなかろうか。
地球を七巻き巻くとかいう云いかたも執念めいた響きを添える。七巻きとか七巻き半とかいう表現は、仏教の七生までも云々という言葉とともに、あることがらを自分の目前から追い払ってもまだそれはおしまいになったわけではないぞよ、という脅嚇を含んでいる。自分たちの棲んでいる地球を天界の外から見た人はないのだから、そういう地球を七巻きまくと云えば、気味悪い脈々とした連続をも感じさせよう。