織物の發達は、世界の古い國々に於ても、支那は其の最も勝れた國であつて、殊に蠶絲の發達が古代からあつて、之を西洋の方にも輸出したのは前漢頃からでもあらうかと思はれ、日本に輸出されたのは後漢頃からではあるまいかと思はれる。兎も角絹の生産地として大變古い歴史を持つて居るのである。其の文獻に現はれたのも隨分古いので、先秦の古書と謂はれる尚書、詩經、周禮、爾雅といふ樣な書籍に見えて居つて、中にも尚書の益稷篇――今文尚書で言へば皐陶謨の一部であるが――に所謂虞の十二章と謂ふものが見えて居る。それは一部分は繪即ち書き文樣とも考ふべきものであつて、一部分は繍即ちヌヒである。恐らく衣服に關する文樣として最も古いものは、此の書文樣、ヌヒ文樣から出たと云ふことを考へ得られるであらう。其の中で日月星辰山龍華蟲は、繪即ち書き文樣であつて、藻火粉米黼黻は繍即ちヌヒ文樣である。かう謂ふものが何代頃から在つたかは、尚書に見えて居つても、もとより確實には知り得ないが、その原始的である點から見て餘程古いものと考へられるのである。
尚書の禹貢篇に至つては、織物に關する記事が種々載つて居るが、其の中で最も注意すべきものは織文、織貝である。織文は古くから錦綺の類だと解釋せられて居るが、是は染色は一定して居つて、織方によつて文樣が色々にあらはれるのであらうかと思はれる。織貝に至つては昔から説が二つに分れて居つて、僞古文尚書の説では、織は細紵なりと解し、貝を水物と解して居るので、貝の方は織物と關係無い樣であるが、此の説は謬つて居ると謂はれて居る。貝といふのも、やはり織物であつて、詩經の中にも貝錦とあるから、貝は一種の錦の名稱であるといふのが正しい。此の織物はやはりいろ/\に染めた絲を織ると一種の文樣が出來る者で、所謂織色といふ樣なもので、織りあげた結果、一種の色の出るものであらうと思はれる。此等は隨分古くから織物の發達したといふことを徴すべきものである。其の外、若しくは帛といふ文字の如きは、絹織物の總名として使用せられて居つたので、其の産出が尠なからざりしことを推測することが出來る。
又染物のことに就いても爾雅に、