大菩薩峠
本文約57,200字 ・ 読了時間 約115分
あらすじ(AIが作成しました)
駒井甚三郎と田山白雲は、秋晴れの九十九里の浜辺を馬で進む。二人は海が持つ広大さや、刺激の強弱と偉大性の関係について語り合う。その後、田山は各地の遍歴を経て鹿島灘に到達する。そこでの豪壮な波と広大な海に圧倒され、かつてこの地で神々が躍動した光景を脳裏に描く。彼はその偉大な海を写し取らなければ神々の姿を描き出すことはできないと感じ、興奮を覚えながら海岸を歩き続ける。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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今日から「Ocean の巻」と改めることに致しました。Ocean は申すまでもなく「大洋」のことであります。わざと英語を用いたのは気取ったのではありません。「大洋」とするよりも「海原」とするよりも「わだつみ」と言ってみるよりも、いっそこの方がこの巻にふさわしいような気持がするからであります。従来も「みちりや」と名附けてみたり「ピグミー」を出してみたりするのも、やはり同様で、ことさらに奇を弄するという次第ではありません。規模が大きいだけに、今後も思いがけない言葉が少しは飛び出すかも知れません。もし、不分明でしたら、不分明のままに飲み下しておいていただきましょう。「誦すべくして解すべからず」とすましておいた方がよろしいと思います。
一
駒井甚三郎と、田山白雲とが、九十九里の浜辺の波打際を、轡を並べて、馬を打たせておりました。
駒井は軽快な洋装に、韮山風の陣笠をかぶって、洋鞍に乗り、田山は和装、例の大刀を横たえた姿が、例によって奇妙な取合せであります。
それで二人は、九十九里の浜辺を、或いは轡を並べたり、或いは多少前後したりして、今でいえば午後三時頃の至極穏かな秋晴れの一日を、悠々として、馬を打たせ行くのであります。
天高く馬肥ゆといった注文通りに、一方には海闊くという偉大な景物を添えているのだから、二人の気象も、おのずから昂然として揚らざるを得ないような有様です。
「どうです、田山君、この辺の海は」
と、駒井甚三郎が海をながめて、少し後れた田山を顧みて言いました。
「海岸の風物が一変したら、海そのものまでも別のような感じがします」
と、田山白雲が答えました。
「そうですね、九十九里は全く別世界のような気がしますね、大東の岬以来、奇巌怪石というはおろか、ほとんど岩らしいものは見えないではありませんか、平沙渺漠として人煙を絶す、といった趣ですね」
「左様、小湊、片海あたりのように、あらゆる水の跳躍を見るというわけでもなし、お仙ころがしや、竜燈の松があるというわけでもなし――至極平凡を極めたものですね、海の水色までが南房のように蒼々として生きていません――沼の水のようです」