一
宇治山田の米友は、山形雄偉なる胆吹山を後ろにして、しきりに木の株根を掘っています。
その地点を見れば、まさしく胆吹山の南麓であって、その周囲を見れば荒野原、その一部分の雑木が斫り倒され、榛莽荊棘が刈り去られてある。そのうちのある一部分に向って鍬を打卸しつつ、米友がひとり空々漠々として木の根を掘りつつあるのです。
打込む鍬の音が、こだまを返すほど森閑たるところで、ひとり精根を株根に打込んで、側目もふらず稼いでいるのは、この木の株根に執着があるわけではなく、こうして幾つもの株根を掘り起すことの目的は、この土地を開墾する、つまりあらくを切るための労力でなくてほかに理由のあるはずはありません。
米友が胆吹山の下で開墾事業をはじめた。
これは、これだけの図を見れば驚異にも価することに相違ないが、筋道をたずねてみれば甚だ自然なものがあるのです。それは後にわかるとして、こうして米友が一心不乱にあらくを切っているとき、
「米友さん――」
そこへ不意に後ろの林から現われたのは、手拭を姉さん被りにして、目籠の中へ何か野菜類を入れたのを小脇にして、そうしてニッコリ笑って呼びかけたのはお雪ちゃんでした。
「御精が出ますね」
「うん」
米友も鍬を休めていると、お雪ちゃんはだんだん近寄って来て、
「少しお休みなさい」
「どーれ」
と言って、米友は鍬を投げ捨てて、まだ掘り起さない掛けごろの一つの木株へどっかと腰をおろしたが、さて、こういう場合に、抜かりなく、間のくさびにもなり、心身疲労の慰藉ともなるべき――アメリカインデアン伝来の火附草をとってまず一服という手先の芸当が米友にはできません。腰を卸したまま、両手を膝に置いて、猿のような眼をみはって、お雪ちゃんの面を見つめたままでいますと、
「友さん、一ついかが」
と言って、お雪ちゃんが目籠の中から、珊瑚の紅のような柿の実を一つ取り出して、米友に与えました。
「有難う」
米友は、腰にさしはさんでいた手拭を引出して、いまお雪ちゃんから与えられた珊瑚のような柿の実を、一ぺん通り見込んでから、ガブリとかぶりついて、歯をあてるとガリガリかじり立てました。
「甘いでしょう」
「甘めえ」