旧聞日本橋
本文約7,100字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
木魚の顔と形容される湯川金左衛門の妹、勝川お蝶は、かつて廻船問屋の妻として贅沢を極めた。彼女は不義の娘として生まれ、舞踊で人気を博した過去を持ち、没落後も角力である男を従え、気ままに暮らした。明治の世へと移り変わり、旧時代の遺物となった彼女が、かつての豪奢な夢を抱きながら、忠実な角力の献身に見守られて生涯を閉じるまでの姿を描く。
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勝川のおばさんという名がアンポンタンに記憶された。顔の印象は浅黒く、長かった。それが木魚の顔のおじいさんのたった一人の妹だときいても、別段心もひかれなかった。ただ平べったいチンチクリンのおじいさんに、長茄子のような妹があるのかなと思った位だった。
しかし彼女は小意気だった、その時分の扮装が黒っぽかったので、背のたかい細面の女を、感じから黒茄子にしてしまったが、五十を越しても水極だっていた。
幾年かすぎて、ふとその女がはじめて来た日の言葉を思いだした。
「お滝さんにも久しぶりで逢えて――」
自分の姪の家へきて、にもなんて変なことをいう――子供の心は単純で、かげりをもった言語の深いあやを知らない。およそ、木魚のおじいさんの一族で、あんなに客として歓待されたものはないのにと、無視された母のためにアンポンタンは軽い義憤をもった。
だが、勝川のおばさんの生立をきくと無理はなかった。彼女としては、女中同様に追廻して使った姪に、さんの字をつけてよぶだけでさえ小癪にさわる――そうした気風の彼女だった。深川佐賀町の廻船問屋石川屋佐兵衛の妻女――なれのはてではあったが、とにかく代言人長谷川氏の家を訪れてきたのだ。彼女の手許の召使いだった姪は、彼女の添にいたからこそ売出しの新商売の人の後妻にもなれたのだ、という誇りをもって――
勝川のおばさんという名と一所に出るのは佐兵衛さんと、も一人お角力という人だった。いま思えば三角関係だったのでもあろう。佐兵衛さんは旦那で、勝川お蝶は権妻上り、関取××は出入りの角力、そして佐兵衛さんはさしもの大資産を摺ってしまってもお蝶さんと離れず、角力は御贔負さきがペシャンコになってしまっても捨てず、だんだん微禄はしたが至極平和にくらした。
海上暴風雨のためにいつもは房州へはいるはずの、仙台米の積船が、鰯のとれるので名高い九十九里の銚子の浜へはいった。江戸仙台藩の蔵屋敷からは中沢某という侍が銚子へ出張した。
中沢という侍は、幕臣湯川金左衛門邦純とならない前の、木魚の顔のおじいさんの姓である。