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TORENDIA

認識論

本文約46,300字 ・ 読了時間 約93分

あらすじ(AIが作成しました)

模写説に対する従来の批判を検討し、近代認識論が抱える偏見を論じる。存在と真理の関係を巡り、超越的真理の見方や、認識論的な考え方の歴史的制約を明らかにする。自然的な態度やプラトンのイデア論、ライプニッツやカントの認識理論を比較しつつ、客観と主観の対立を生んだ自我哲学の経緯を辿る。認識論が陥りがちな存在問題への無関心を指摘し、存在の問題を認識の理論に深く組み込む必要性を説く哲学的な研究。

三木清

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一 存在と眞理

眞理の概念は知識の問題の中心概念である。それだから我々は先づこの概念の檢討から始めよう。

いはゆる模寫説(Abbildtheorie)ほど今日不評判なものはないであらう。誰も自分の考へ方が模寫説であるといはれることを極端に恐れてゐる。模寫説といはれてゐるのは、我々の表象と實在との一致をもつて眞理と考へる思想である。心の外にある物が心の中に映じ、この映像が物に一致してゐるとき、それが眞理であるといふのである。かかる模寫説は到底維持され得ないと評せられる。第一、我々の感性知覺が外的實在の意識のうちにおけるそのままの繰返しであり得ないことは、心理學の知識を俟つまでもなく、日常の經驗において何人にも分つてゐることである。第二に、眞理といはれるものの中には外界の實在と一致しないものがある。數學的眞理の如きはそれである。例へば、圓は一定點から等距離にある點の軌跡であるといふが、このやうな圓は實際には何處にも見出されることができない。第三、我々が表象と實在との一致をどれほど眞面目に確かめようとしても、つねにただ表象と表象との一致が知られるのみであつて、表象と物そのものとの一致は決して知られない。我々は直接體驗の表象と記憶表象或ひは想像表象とを比較し、兩者を同一の對象に關係させることができる、しかし我々はこの對象そのものと表象とを比較することはできないのである。この種の批評が模寫説に對して普通に行はれてゐる。

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