『新新訳源氏物語』あとがき
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
二十八年前の自身の拙い訳業を恥じ続けてきた著者が、改めて源氏物語の全訳を完遂するまでの経緯と、その過程で辿り着いた独自の作者研究を綴る。本書のあとがきとして記された本稿は、源氏物語が紫式部と大弐の三位という二人の作者の手によるものだという説を、文章構造の変化や歌の詠みぶり、時代背景の考証に基づき詳細に論じる。あわせて、自身の人生における困難な時期と、改訳作業に賭けた執筆の意義についても振り返る内容となっている。
💰 この本を応援する(投げ銭)
燦然と千古に光る東洋文学の巨篇源氏物語の価値は今さら説く必要もない。
私は今を去る二十八年の昔、金尾文淵堂主の依頼によって、源氏物語を略述した。新訳源氏物語がそれである。森林太郎、上田敏二博士の序文と、中沢弘光画伯の絵が添っていた。その三先生に対して粗雑な解と訳文をした罪を爾来二十幾年の間私は恥じつづけて来た。いつかは三先輩に対する謝意に代えて完全なものに書き変えたいと願っていたのであるが実現は困難であった。今から七年前の秋、どんなにもして時を作り、源氏を改訳する責めを果そうと急に思い立つ期が来た。そしてすぐに書きはじめ書きつづけ、少い余命の終らぬ間を急いだ。ところが昭和十年の春に私は良人を失った。一家を負ってなさねばならぬ用のふえたことは申すまでもない。また一方くずおれた心は歌を作る以外に力の出しようもないように思われた。その時までにできていたのは良人がすでに病床についていた頃にも書いた橋姫の巻までであった。若菜以後は清書もできていなかった。私は壁際に山積した新新訳の原稿を眺めるだけで二年をいたずらに過した。以前に大阪へ店を移された文淵堂主と京都で会したのはその頃であった。氏は初期の私の歌集以来引きつづいて私を庇護してくれた人である。東京でまた店を開きたいという話を聞いて、私のできている新新訳『源氏物語』の話をし、そんなことが機縁になって東京で氏の再起がかなえばよいと相談した。氏は喜んでくれた。そのために氏の信仰の深い観音へ礼参りさえもされた。二十八年の昔に拙いものを書いて渡した私の成長を疑わなかったのである。いよいよ本が出るようになって私は滅罪の方法の許された神仏に合掌した。