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TORENDIA

田村将軍

本文約2,900字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

京都の東山に埋葬された将軍塚の由来を語る。桓武天皇の時代、坂上田村麻呂は奥州で謀反を起こした高丸を討伐する命を受ける。戦の最中、窮地に陥った田村麻呂は、清水の観音様に祈ることで仏の加護を得て勝利を収める。都へ戻った田村麻呂が観音堂の像を見ると、戦地で姿を現した神仏の痕跡がそこに残っていた。その後、数々の武功を上げた将軍が亡くなると、鎧兜をまとった姿で埋葬され、現在も京都の地を守り続けている様子を描く。

楠山正雄

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🎧 田村将軍 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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一

京都に行ったことのある人は、きっとそこの清水の観音様にお参りをして、あの高い舞台の上から目の下の京都の町をながめ、それからその向こうに青々と霞んでいる御所の松林をはるかに拝んだに違いありません。また後ろをふり返ると御堂の上にのしかかるようにそびえている東山のはるかのてっぺんに、真っ黒に繁った杉の木立ちがぬっと顔を出しているのを見たに違いありません。この京都の町を一目に見晴らす高い山の上のお墓に埋められている人は、坂上田村麻呂という昔の名高い将軍です。そしてそのなきがらを埋めたお墓を将軍塚といって、千何年という長い間京都の鎮守の神様のように崇められて、何か世の中に災いの起こる時には、きっと将軍塚が音をたてて動き出すといい伝えているのでございます。

坂上田村麻呂は今から千年余りも昔、桓武天皇が京都にはじめて御所をお造りになったころ、天子さまのお供をして奈良の都から京の都へ移って来たうちの一人でした。背の高さが五尺八寸に胸の厚さが一尺二寸、巨人のような大男でございました。そして熊鷹のようなこわい目をして、鉄の針を植えたようなひげがいっぱい顔に生えていました。それから体の重みが六十四斤もあって、怒って力をうんと入れると、その四倍も重くなるといわれていました。それでどんな荒えびすでも、虎狼のような猛獣でも、田村麻呂に一目にらまれると、たちまち一縮みに縮みあがるというほどでした。その代り機嫌よくにこにこしている時は、三つ四つの子供もなついて、ひざに抱かれてすやすやと眠るというほどの人でした。ですから部下の兵士たちも田村麻呂を慕いきって、そのためには火水の中にもとび込むことをいといませんでした。

田村麻呂はそんなに強い人でしたけれど、またたいそう心のやさしい人で、人並みはずれて信心深く、いつも清水の観音様にかかさずお参りをして、武運を祈っておりました。

二

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