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TORENDIA

大嘗祭の本義

本文約39,900字 ・ 読了時間 約80分

あらすじ(AIが作成しました)

大嘗祭を民俗学の視点から論じる。天孫降臨の伝承に基づき、食国の成り物を天つ神に捧げ、神の言葉を地上に伝えるという天皇の本来の職務から、祭りの本義を読み解く。祝詞や寿詞の歴史的変遷、五節の舞の鎮魂の意義、さらには直会から宴会への展開といった諸儀礼を検証し、平安朝以降の固定化を経て現在に至る大嘗祭の変容とその背後に隠れた古代の姿を明らかにする。

折口信夫

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一

最初には、演題を「民俗学より見たる大嘗祭」として見たが、其では、大嘗祭が軽い意義になりはせぬか、と心配して、其で「大嘗祭の本義」とした。

題目が甚、神道家らしく、何か神道の宣伝めいた様なきらひがあるが、実は今までの神道家の考へ方では、大嘗祭はよく訣らぬ。民俗学の立場から、此を明らかにして見たい。

此処で申して置かねばならぬのは、私の話が、或は不謹慎の様に受け取られる部分があるかも知れない、といふ事である。だが、話は明白にせぬと何も訣らぬ。話を明白にするのが、却つて其を慕ふ事にもなり、ほんとうの愛情が表れる事にもなる。或は、吾々祖先の生活上の陰事、ひいては、古代の宮廷の陰事をも外へ出す様になるかも知れぬが、其が却つて、国の古さ・家の古さをしのぶ事になる。単なる末梢的な事で、憤慨する様な事のない様にして頂き度い。国家を愛し、宮廷を敬ふ熱情に於ては、私は人にまけぬつもりである。

二

まづ「にへまつり」の事から話して見る。「にへ」は、神又は天皇陛下の召し上り物、といふ事である。調理した食物の事をいふので、「いけにへ」とはちがふ。生贄とは、生のまゝで置いて、何時でも奉る事の出来る様に、生けてある贄の事である。動物、植物を通じていふ。

只今の神道家では、にへといへば、生なものをも含めて言ふが、にへといふ以上は、調理したものを言ふのである。御意の儘に、何時でも調理して差し上げます、といつて、お目にかけておくのが、生贄である。ほんとうは食べられる物を差し上げるのが、当り前である。生物を差し上げるのは、本式ではない。この贄の事から出発して、大嘗祭の話に這入りたい。

大嘗祭は、古くはおほむべまつりと言うて居る。おほんべ即、大嘗に就ては、次の新嘗・大嘗の処で話す事にして、此処では、まづまつりの語源を調べて見る事にする。此まつりといふ語がよく訣らぬと、上代の文献を見ても、解決のつかぬ事が多い。

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