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TORENDIA

食通

本文約510字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

食通を大食いと同義と定義する筆者が、友人である檀一雄や伊馬鵜平との食事の思い出を交えながら、自身の食に対する姿勢や独自の流儀を綴る。安くて美味しいものを際限なく食べることを食通の奥義とする筆者は、新橋のおでんやで見かけた、海老の殻を箸で器用に剥く若い男の気取った姿を通し、食を楽しむことの本質について考察する。食べるという行為の根源的な喜びと、形式にこだわる滑稽さを対比させたエッセイである。

太宰治

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🎧 食通 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。

安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老の鬼がら焼きを、箸で器用に剥いて、おかみに褒められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。

完

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