TRENDIA CLASSIC

春の幻

豊島与志雄

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春を想うと、ただもやもやっとした世界の幻が浮んでくる。それは日向に蹲ってる猫で象徴される。日向の猫の眼が、細い瞳をぼんやり開きかけては、またうっとりと閉じていくように、春の息吹きは、あらゆるものの眼を閉じさせる。冷い空気と暖い空気とがもつれ合って、なま温い靄を蒸発させ、光と影とが入乱れて、茫とした反映のうちに融け込み、物の輪郭がくずれて、太い柔い曲線にぼかされ、あらゆるものの露わな面が――その奥から覗く神秘な眼が、宛も息を吐きかけられた硝子のように、ぼーっと曇っている。何一つはっきりしたものはない。凡てがぼやけている。うとうととなごやかに仮睡している。

けれども、日向の猫の身体が、肉感的な微妙な触感をそそる毛並を揃えて、何かしら獰猛な淫蕩なものを内に蔵しながら、温い息に揺いでるように、春の息吹きに曇ってるこの盲いた世界も、喘ぐ……というほどではなくとも、或る気ぜわしない不安な呼吸に肉感的な波動をなしている。触れたら掌がむずむずしそうな、無羞恥な蠢めきをしている。脂濃い女の髪の、一筋一筋が生きていて、それが一塊にもつれ合って、じっとりと寝乱れた形である。

日向にまどろんでる猫は、無神論者……というより寧ろ、無神者である、彼が所有してる神もなければ、彼に君臨してる神もない。神のない世界に日向ぼっこをしている彼は――淫蕩な身体をうっとりと横たえてる彼は、刹那主義の享楽者である。そして、神のない地上の刹那々々の享楽は、如何に蠱惑的でまた力弱いことであろう! 其処に、春の歓楽と哀愁とがある。一の面影を石に刻み込むだけの力強い執着は、この世界には存在し難い。一の面影から他の面影へと転々と移りゆく所に、若々しい生命の喜びがあり、忘られた面影やまだ見ぬ面影が現在の面影の上に重なってきて、やるせない惑わしが生ずる所に、神のない楽園の悲しみがある。

此の世界を見つめていると、もやもやっとした中から、次第にさまざまな象が浮出してくる。――その少しを捉えてみよう。

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