TRENDIA CLASSIC

アフリカのスタンレー

豊島与志雄

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一 暗黒大陸の父  世界で最も古い文化の一つは、アフリカ北海岸の一部のエジプトに開けました。また、近代文化の源となつてゐるギリシャやローマの文化は、アフリカの北海岸一帯にその光をなげかけました。その後、世界文化の中心は、西ヨーロッパに移つたやうな有様になりましたが、その西ヨーロッパから、アフリカはすぐ近い所にあります。

それにも拘はらず、このアフリカ大陸は、海岸地方が世に知られてゐるきりで、その内地の大部分は、まだ探検されずに残つてゐまして、地図の上でも空白になつてをり、秘密のまゝになつて、暗黒大陸と呼ばれてゐました。

この暗黒大陸を明るみに出すために、十九世紀になつてから殊に、いろいろな探検がなされましたが、奥地の方へふみこむのは容易なことではありませんでした。それにはいろいろな理由があります。

アフリカは、大部分が熱帯にありまして、そのひどい炎暑が人を苦しめます。それから、北部の広大なサハラ沙漠をはじめ、あちこちに、旅行に困難な沙漠があります。また、海岸地方や谿谷の多くは、熱病の巣と云つてもよいほどであります。それから、猛獣や毒虫がはびこつてゐますし、奥地の方には、獰猛で危険な土人たちが住んでゐます。だから、この大陸の探検は、まつたく命がけの仕事でありまして、実際、多くの探検家が斃れました。

この探検において、暗黒なアフリカ大陸の父と呼ばれてゐる人があります。

それは、ダヴィッド・リヴィングストーンであります。

リヴィングストーンは、千八百十三年に、イギリスのスコットランドに生れました。家が貧しかつたので、工場で働きながら夜学に通ひ、また熱心にいろいろな書物を読みました。それから、医学の勉強をし、次に、宣教師になる修業をしました。未開の人々のために、キリスト教の伝道に生涯を捧げるつもりでゐたのです。そして遂に彼は、千八百四十年の末、暗黒大陸のアフリカへ向つて、宣教師として出発しました。

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