浅間噴火口
本文約11,900字 ・ 読了時間 約24分
あらすじ(AIが作成しました)
春日荘の経営者である椿正枝は、入居者である朝鮮出身の学生、李永泰が三日間にわたり無断で外出していることに気をもむ。李の部屋を検分するも、手がかりは飾られた尺八のみであった。その後、印刷所の主人を通じて李の失踪の真相が、友人との浅間山への道行きであったことが判明する。正枝に叱られることを強く求めた李の純粋な心と、その尺八にまつわる過去の物語を通じ、二人の間に奇妙な絆が生まれる様子を描く。
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一
坂の上の奥まったところにある春日荘は、普通に見かける安易なアパートであるが、三つの特色があった。一つは、その周囲や庭にやたらと椿の木が植えこんであること。これは、経営者たる四十歳を過ぎた未亡人椿正枝の、感傷とも自負とも云える事柄で、はじめは椿の姓にちなんで春木荘と名づけられそうだったのが、春日荘となった代りに、多くの椿の植込が出来たのである。花時には、赤や白の一重や八重が美事だった。次には、室代が他の同類のアパートより少し高いこと。高いといっても一畳につき二十銭程度だろうが、これでも居住人選択のためには多少の役割をなした。第三には、一種の道徳が居住人全般に課せられていること。例えば、アパート内では禁酒であり、外泊の場合は必ず、予告するか電話をかけるかしなければならず、其他これに類する事柄である。女の独り者は、下等な妾か女給のたぐいだとして、居住を許されなかった。その代り、正枝は凡ての居住者を、道徳的には厳格に人情的にはやさしく、親身に世話してやった。月に一円女中に払えば、毎朝室の掃除もして貰えた。
居住者の李永泰が、無断で三日も帰って来ず、何処へ行ったか分らなくなったことは、だから、春日荘にとっては稀有の事柄だった。
正枝は女中のキヨを連れて、李永泰の室を検分した。
「毎日掃除をしてるんだから、ふだんの様子は知ってるでしょう。なにか変ったことはないか、よく見てごらんなさい。」
「はい。」とキヨは頓狂に声高な返事をした。