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TORENDIA

秋の気魄

本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

紅葉や農作物の色彩に頼らず、落葉と澄み切った光の中にこそ秋の本質があると説く随筆。万物を裸にする秋の剥脱の世界、その静寂の中で人は自らの内面を凝視し、己の存在を強く実感する。著者は、自己をまざまざと見つめ直す秋という季節の厳粛さと、その孤独な専念を経て得られる清浄な歓喜、そして秋の気魄に触れることで真の生存様式を見出すことの重要性を論じる。

豊島与志雄

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🎧 秋の気魄 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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秋と云えば、人は直ちに紅葉を連想する。然しながら、紅葉そのものは秋の本質とは可なりに縁遠いことを、私は思わずにはいられない。

楓の赤色から銀杏の黄色に至るまでのさまざまな紅葉の色彩は、その色彩からじかに来る感じは、しみじみとした専念の秋の感じとは、よほど距っている。都会にいてはそうでもないけれど、一歩田舎に踏み出してみると、山裾の木立の紅葉や、田畑の熟しきった黄色い農作物や、赤々とさす日脚などは、それをそのまま抽出して観ずる時には、寧ろ残暑に属すべきもので、真の秋の領域ではない。試みに、吾々の住宅や居室を、それらの色彩の何れかで塗りつぶすとしたならば、吾々の生活気分は、可なりに落付のないものとなることであろう。そしてこの落付のなさは、秋の頼りない気分とは、全く別種のものである。

紅葉に秋の気分を与うるものは、紅葉のうちの活力の欠如である。私は茲に、緑葉が何故に紅葉するかという、科学的の説明を持出したくはない。ただ紅葉に活力のないことだけを云いたい。かりに、野山の紅葉が、あのままの色彩で生々と生育する世界を想像してみれば、それが秋の世界だとは誰も云い得ないであろう。活力のない紅葉なればこそ、秋にふさわしいものとなる。秋の山野を冠する赤や黄の色彩は、房々とした少年の金髪ではなくて、生活をしつくした初老の人の赤毛である。

生活力のない紅葉は、一夜の冷風に散ってゆく。そしてこの落葉こそ、本当の秋のものである。庭に散り落ちる桐の一葉から、林の中に舞い落ちる無数の木の葉、または半ば霜枯れた野の草葉に至るまで、悉く秋の気分に濃く塗られている。かさかさと鳴る落葉を踏んで林中の小径を辿る時、人は最も深く秋を感ずる。

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