TRENDIA CLASSIC

ヒューメーンということに就て

豊島与志雄

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芸術上の作品は、一方に於ては作者に即したものであり、他方に於てはそれ自身独立したものである。この二つの見解は作品を眺むる眼の据え場所の相違から自然に出て来る。そして前者の見地よりすれば、「作品凡庸可なりの論」をも私は認むるが、後者の見地よりすれば、「作品凡庸主義の論」に私は賛成しない。作品をそれ自身独立したものとして眺むる時、作品は偉大なればなるほど、深刻なればなるほど、非凡なればなるほど、益々いいのである。

芸術創作家は、一方に於ては自己を育ててゆくものであり、他方に於ては他人に働きかけるものである。この二つの見解も眼の据場所の相違から起ってくる。そして前者の見地よりすれば、「作家凡庸可なりの論」をも私は認むるが、後者の見地よりすれば、「作家凡庸主義の論」に私は賛成しない。作家を他人に働きかけるものとして見る時、作家は、豪ければ豪いほど、非凡なればなるほど、益々いいのである。

以上のことは、云わないでも分りきったことであるが、以下「ヒューメーンということ」に就ての感想を誤解せられないために、一言断って置くのである。立論の根拠を明にして置かないと、とんだ誤解をせられ易い。論を見て其の論の拠点までも省察してくれるほどの親切は、今の忙しい文壇に少なそうだから。

或る作品を批評する場合に、「これはヒューメーンな作」だということがよく云われる。

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