父母に対する私情
本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
一人子として育った著者が、自身の父母に対して抱く感情を綴る。具体的な対話の記憶は少ないものの、両親との暗黙のうちの繋がりに感謝し、父を思うことで得られる力強さや、母を思うことで得られる心の平穏を描く。亡き両親の存在を自分の中に神聖なものとして据え、自身の子供たちが健やかに成長している様子を伝えたいと願う心情を通し、親から子へ受け継がれる生命の重みと、両親への深い敬慕の念を静かに語る随筆。
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私は初め、父と母とのことを書くつもりだった。そして愈々ペンを執って原稿紙に向うと、それが書けなくなった。
父と母とに対する私の感情のうちには、何かしら神聖なるものがある。その神聖なるものが、父と母とのことを書くのの妨げとなる。父と母とを自分からつき離して客観的に眺め、具体的に描写し、それを公表する、そういったことを今の私は為し難い気持でいる。或は今後、父と母とのことを、父と母とに関係ある何かのことを、小説や随筆などの中に、書くかも知れないしまた書かないかも知れないが、今の気持ではとても書けないしまた書きたくもない。
私の父と母とは、私のものである。而も私の胸の中の最もよき部分に、手を触れたくない神聖な奥殿に、祭りこまれてるものの一つである。畏敬すべき尊いなつかしい記念、そういった感じのするものである。それに手をつけてあばき出すことは、今の私の本意ではない。
私情をすてて赤裸々な心で物を書くことが、芸術にたずさわる者の態度であるべきことを、私は知らないではない。然しながら、そういう態度の上に――もしくは奥に、強く燃えてる熱意こそ、芸術の生命であることを、私は知らないではない。そして私のそういう熱意は、今の所では父と母とのことを書く方へ向ってこない。
それ故に私は、父と母とのことを書くのを止めて、父と母とに対する私の感情を書くことにする。それならば書ける、何の妨げもなしに書ける。そして、父と母とのことが書けない理由をくどくどと述べた所以も、それがやがて、父と母とに対する私の感情の一部をなすものであるからである。