性格批判の問題
本文約7,800字 ・ 読了時間 約16分
あらすじ(AIが作成しました)
旅行の追憶や文学読書において、人の心に最も深く刻まれるのは人物の性格であることを指摘し、その性格を捉える芸術的批判の重要性を論じる。作品の生命力は作者の批判眼によって生み出される有機的な構成に懸かっており、現代文学に散見される性格の軽視や類型化がもたらす貧困を批判する。真の文学創作においては、生活姿態と性格から人物の運命を描き出すことが至高の境地であり、性格重視の姿勢こそが文芸を救う途であると説く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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旅にあって、吾々は、山川の美のみに満足する風流気から、よほど遠くにある。事前には、土地の眺望や快適について、いろいろ気にするけれど、いざ旅に出てみると、自然そのものの風趣は、吾々の関心の僅かな部分をしか占めない。興味の対象はやはり、人間もしくは人間生活にある。一人旅の、或る場合の佗びしさ、または或る場合の嬉しさは、このことを証明する。――と、こんなことを云えば、ナマグサだと笑われるであろうか。
けれども、偶然、橋の上で語らった女、舟に乗り合した人々、散歩の折に見かけた人家の内部、山奥の掛茶屋で渋茶を飲みあった樵夫……そういうものの面影は、後になってその旅行のことを考える時には、記憶のなかに薄らいでいて、影絵のような模糊とした映像をしか止めていない。その代りに、当時ぼんやりと看過したもの、橋の構造やその下の水のせせらぎ、舟べりを打つ水音や四方の景色、田舎町のすすけた軒並、掛茶屋の縁先に展開してる空間と山岳の眺望などが、まざまざと眼前に浮んでくる。
古人はうまいことを云った、国亡びて山河在りと。故郷のなつかしさは、その人事にはなくて、その山河にある。旅の明瞭な記憶は、旅行中当面の関心事たるその人事にはなくて、看過しがちだったその自然の景色にある。――このことからして私は、凡て追憶的旅行記に対して、人物の記述よりも自然の記述により信用する。人物の記述は半ば創作であることが多い。
旅行中に得らるるこうした自然の印象は、時がたつにつれて、一種の抽象作用を受けて、益々簡明になってくるようである。それは一の景色以上の景色であり、一の眺望以上の眺望である。現実に何かが加わった――或は差引かれたもので、そして結局はプラスの景色や眺望である。