東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。そして暫く病院にはいっていましたが、退院後は、郵便局勤務の同僚の家に寄寓して、引き続き郵便局に勤めました。
彼の火傷は大きな痕跡を残しました。額から頬へかけて、顔の左半面、皮膚が引きつり、その中央に、打撲の跡があり、耳がちぢれ、耳の後ろに太い禿げがありました。それから、左眼の瞼がひどく損傷して、全くあかんべえの眼になっていました。むくれ上った瞼の裏側がいやに赤く、むき出しの大きな目玉がいやに白く、両方相俟ってぎょろりとして、物の底まで見通すかと思われるような眼差しでした。――その火傷の跡は、現代の外科医術を以てすれば、或る程度の修復は出来るそうでありましたが、手術を受けるほどの余裕は、あらゆる点で、笠井直吉にはありませんでした。戦争の焼印として、彼はそれを自分の肉体の上にじっと負いました。
この火傷の跡に対して、殊にあかんべえの眼に対して、人々が取る三つの態度に、笠井直吉は気付きました。或る人々は、なにか珍らしい物でも発見したかのように、それをじっと眺めました。次に或る人々は、それを一目見て、すぐに視線をそらしました。次に或る人々は、それがそこにあることを知っていて、見ない先から眼をそむけました。
そういうことによって、笠井直吉は、自分が特異な存在であることを感じました。そして謙遜な彼は、自分のその特異さを、なるべく人目につかないところへ後退させようとしました。郵便局では、彼は奥の事務を執っていましたが、窓口の方には、そこがどんな状態であろうと、決して近づかないことにしました。日常は、なるべく出歩かないことにしました。その代り、これは自己卑下の気持ちからして、配給物の受け取りなどには、隣組のために進んで出かけました。