一
悲しみにこそ生きむ
楽しさにこそ死なむ
この二つの文句が、どうしてこんなにわたしの心を乱すのであろうか。二つが妖しく絡みあい、わたしの胸に忍びこみ、わたしの心を緊めつけて……誘うのである。いずこへ誘うのか。何の誘惑なのか。
その文句を、わたしは思い違いしてるのではあるまいか、そんな気持ちがふっと湧くこともある。だけど、いいえ、わたしの思い違いではない。たしかにそうなのだ。あの人は、机の上の原稿用紙に、鉛筆でいたずら書きをしていた。鳶が鳴いていたので、片仮名で、ピーとか、ヒョロとか、ヒョロヒョロとか、そんなのが幾つも書き散らされてるうちに、とつぜん、悲しみにこそ、が二度つづいて、生きむ、生きむ、生きむ、と三度かさなり、それから、楽しさにこそ、が一度、そして、死なむ、死なむ、と二度で終った。たしかに、悲しみに死ぬるのでもなく、楽しさに生きるのでもない。いいえ、そんなこととは全く違う。
悲しみにこそ生きむ
楽しさにこそ死なむ
わたしにはよく理解できないけれど、感じだけは分る。二つ別々なものではなくて、一緒のものなのだ。一つだけでは意味をなさない。ヘルメスの杖についてる、二つの翼……二つの蛇……。あの人にとって、それは、翼なのかしら、蛇なのかしら。どちらだって、つまりは、ヘルメスにとって同じなように、あの人にとっても同じなわけだ。けれども、わたしとしては……いえ、もうどちらでもよい。
あれを、あの人は明らかに、わたしが見てることを知っていて、わたしに見せるために書いた。わたしは見た。それをあの人は知っている。けれど、わたしは何とも言わなかった。あの人も何とも言わなかった。
直截に、簡明に、ぶしつけに、いろんなことを話せないのが、淋しい。お互に、愛し合ってることが分っておりながら、なぜそうなのであろうか。