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TORENDIA

餅のタタリ

本文約8,800字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

新年にも餅を食べず門松を飾らない風習が残る上州の村で、名家の円池の平吉は夜中に池の氷を割る泥棒を目撃する。その場に残された焼いた餅を巡り、唯一餅を食べる隣家の杉の木こと助六に疑いの目が向く。両家は長年張り合ってきた仲であり、助六は潔白を証明するが、やがて彼は唐突に象徴であった杉の木を伐採する。その後、助六は伐採した木を神体として崇め、野良道にパチンコ屋を営むが繁昌せず、一連の騒動は餅のタタリと噂される。

坂口安吾

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餅を落した泥棒

土地によって一風変った奇習や奇祭があるものだが、日本中おしなべて変りのないのは新年にお餅を食べ門松をたてて祝う。お雑煮の作り方は土地ごとに大そうな違いはあるが、お餅を食べ門松をたてて新春を祝うことだけは日本中変りがなかろうと誰しも思いがちである。

意外にも、新年にお餅も食べず門松もたてない村や部落は日本の諸地にかなり散在しているのだが、上州には特に多い。その上州でもある郡では諸町村の大部分が昔から新年を祝う風習をもっていない。それでも、ま、新年のオツキアイだけは気持ばかり致しましょう、というわけか、三※[#小書き片仮名ガ、295-16]日だけウドンを食べる。

もともと上州の人たちは好んでウドンをたべる。農村では米を作りながら自分はウドンの方を喜んで食ってるという土地柄であるから、新年にウドンを食ってもふだんと変りがないようなものだ。むしろ新年のウドンの方がふだんのウドンよりもまずいぐらいで、テンプラウドンやキツネウドンにくらべると大そう風味が悪いような特別な作り方のウドンを三※[#小書き片仮名ガ、295-20]日間というもの三度々々我慢して食べてる。まったく我慢して食べてるとしか云いようがないほど味気ない食膳で、ふだんの方がゴチソウがあるのだ。要するにその食卓から新年を祝う気分を見ることはできなくて、むしろ一ツ年をとって死期が近づいたのをシミジミ観念して味っているような食卓なのである。

どうして新年にウドンを食うかということについては昔からいろいろ云われているが、いずれも納得できるものではない。むしろ、上州ばかりでなく、日本の諸地では昔から新年にウドンを食っていたのかも知れない。餅をくって門松をたてる風習の方が後にできてやがて日本中に流行してしまったのかも知れず、そのとき意地ッぱりの村があって、オレだけはウドンをやめないとガンバリつづけたのが今に残ったのかも知れない。上州にはそういう意地ッぱりの気風があるようだ。

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