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TORENDIA

旧作

本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

文壇の大家が過去の自身の作品を肯定する姿勢を例に、作家が自身の未熟な過去を否定すべきではないことを綴る。また、十八歳で四十歳の分別を持つことを戒めた前田利常公のエピソードを引き、人はその年齢に応じた力量こそが尊いと説く。自身の若い頃の作品についても、当時の努力を懐かしみ、尊いものとして受け入れる作者の芸術家としての真摯な心構えを記す。

上村松園

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🎧 旧作 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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ある人が、こんなことを言っていました。

先日文壇の大家の某氏にあったとき、談たまたま作品のことに及んだ折り、私はその作家の十五、六年前に問題になった小説のことを話題にして、

「こういう時局に、あの小説をお考え直しになると、あなたの作品中から抹殺したいお気持ちになりませんか」

ときいたところ、その大家は、

「とんでもない。あの作品は私の全作品中どれよりもすぐれた作で、今でもあれを書いたことを誇りとしていますよ」

と、こうぜんと言い放たれたそうです。

その作品というのは、当時、自由華やかな時代の作風で、とても今の時局には読み難いものなのでした。

しかし、その大家は、過去の作品だからと言って、自分の作を軽々には取り扱わず、却って、

「あれこそ、自分のもっとも会心の作」

であると言い切ったところに、この大家の偉さがあるのではないでしょうか。

ともすれば時局におもねって、

「あれはどうも……何しろ昔の作品ですからネ……」

などと空うそぶいている便乗作家の多い現代の中にあって、右の作家の態度こそ、

「さすがは、一時代の大家となる人」

と思わせるものがあります。

でも、ずっと以前の作が箱書に廻り、それが拙い絵であったりすると、

「これはどうも……何しろ若描きも若描き、まだ世の中へ出ないときの作ですから」

と言って箱書をしない人があるときいています。

さきの文壇の某大家の言と較べて、これほど自らを冒涜する言葉はないと思います。

画家――大家となっている人でも、その昔は拙い絵をかいていたのに違いありません。

素晴しい、大成の域に達した絵をかくには、それ相当の苦労は必要であり、幾春秋の撓まない精進が要る訳です。

生まれながらにして、完成された芸術を生むということはあり得ません。

してみれば、現在大家でも、そのむかし拙いもののあるのは当然のことで、少しも卑下するところはありません。

むしろ、その時代の幼稚な絵を大切にしてくれて箱書をもとめる人の気持ちを有難く受けとらねばなりますまい。

下手な時代は下手な時代なりに、一生懸命の努力をしている筈で、それはそれでいい筈です。

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